当時は癌告知などとてもできない時代でありました。この新聞発表は当時の政界の激動を避けるための、久留院長の苦渋に満ちた発言でした。しかしそうではあっても、前癌状態を治せない主治医といわれては、私としては立つ瀬がない思いでした。
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