- 横井は、1949年に大阪大学医学部を卒業、1年のインターンを終えて、この年(1950年)第一外科に入局したばかりの26歳であった。
- 1951年には、岡の「訳の分からない」研究に、横井の1年後輩の奥村 尭が加わり、チームの体制が徐々に整っていく。奥村は戦時中、阪大工学部航空科で学んでいたが、敗戦後に学科廃止の憂き目にあって医学部に入り直し、1950年に卒業。インターンを経てこの年、第一外科に入局したばかりだった。
- 横井、奥村の参加で研究はようやく軌道に乗る。岡はそれまでの基礎実験データから、超音波の医学的応用として2つの方向を見出していた。1つは、温熱作用や局所血管拡散作用などによる疼痛緩和の現象を治療手段として利用することであった。これは超音波の縦波振動によるmicromassage作用といわれる。もう1つは、生体組織を破壊できる強力な器械的作用を利用し、病巣を排除する手段にしようというものであった。
- 臨床応用の手始めとして、疼痛緩和の効果を期待して関節炎(慢性関節リウマチなど)、外傷後遺症、神経痛などに照射した。その結果、関節炎では22例中15例に、外傷後遺症では16例中13例に、腰痛・神経痛などでは21例中16例に鎮痛や運動機能回復の効果が認められた。全症例を合算すると「効果あり」が約70%、そのうち「著効」が35%という好成績で、悪化したケースは1例もなかった。
- 痛みの緩和が温熱作用によるものか、あるいは縦波振動による器械的作用によるものか、メカニズムの解明は課題として残ったが、彼らは超音波の治療応用について十分な感触をつかんだ。
- 岡はそれまでの基礎データと合わせて、この成績を「超音波の治療的応用について」というタイトルで、臨床外科7巻第8号(1952年)に発表した。これが、超音波による治療効果に関するわが国最初の論文である。研究をはじめて2年後のことだった。
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