その他の年表→その他の代表的な機器放射線産業の歴史|放射線医学年表|X線装置年表放射線医学/技術小史

Produced by JIRA
  325件

西 暦
人物・会社名
出来事
1895年   Roentgen X線を発見, X線透視法およびX線撮影法を発明
1895年   Roentgen X線の透過度の測定に錫箔階段を使用
1896年   Edwin 骨折をX線写真によって診断
1896年   Battelli 間接撮影装置の製作
1896年   Jonesら 体内の異物をX線写真に写す
1896年   Macintyre 腎石の撮影に成功
1896年   Strauss 次硝酸ビスマスなどを用い消化管造影を試みる
1896年   Levy 空気を用い胃の造影を試みる
1896年   Voigt 鼻咽頭癌のX線冶療報告
1896年   Despeignes 胃癌のX線治療の症例報告
1896年   Lyon X線による結核治療の可能性検討
1896年   島津製作所 シアン化白金バリウム蛍光板を製作
1896年   イーストマンコダック社 Xレイ用ブロマイド紙およびタングステン酸カルシウムを用いた蛍光板を製作
1896年   カープッレ・グッドスピード(米国) Xレイ用乾板を製作
1896年   米国GEエディソン社 ThomsonガスX線管球を試作
1896年   Becquerel ウランからX線類似の光線が出ていることを発見
1896年   Roentgen X線の電離作用を報告
1896年   Campbell‐Swinton X線管に白金ターゲットを導入
1896年   山口鋭之助・水野敏之丞 『れんとげん投影写真帖』発刊(丸善5/15)
1896年     日本の数グループがX線の実験
東京帝国大学理科大学の山川健次郎、第一高等学校の水野敏之丞らのグループ(2月〜3月頃)、済生学舎丸茂文良(4月〜5月)、第三高等学校村岡範為馳、島津製作所島津源蔵(初夏〜10月、桐箱内の一円銀貨の撮影に成功(1896、天野良平氏による)
1897年   Macintyre カエルの足の運動をX線映画にして供覧
1897年   Freund 有毛性母斑のX線治療(X線治療が成功した最初の例)
1897年     マックス・レビイ(ドイツ)両面塗布Xレイフイルムおよび両面塗布増感紙を製作
1897年   Rutherford αおよびβ線を発見
1897年   東京帝国大学・名古屋好生館 日本における初期のX線装置が東京帝国大学解剖学教室(4月)、名古屋好生館(9月)に設置される
1898年   Hahn 慢性湿疹のX線治療に成功
1898年   Buxbaum 胆石の撮影に成功
1898年   兵庫県立病院 小西六社が輸入したX線装置を借り受けて診療を行った
1898年   Curie ラジウムを発見
1899年   Stenbock 皮膚癌のX線治療に成功
1899年   Rosenthal 胸部X線写真に瞬間撮影法を推奨
1899年   Villard γ線発見
1900年   0wens トリウムエマナチオン(後に短縮してトロンといわれた)を発見
1901年   Danlos ラジウム治療開始
1901年   Planck 量子論を提出
1902年   Pusey Hodgkin氏病にX線治療を行なう
1902年   六桜社 東京市淀橋区角筈に工場ならびに研究所を創立.乾板と印画紙を製造
1902年   Holzknecht 最初の線量計Chromoradiometerを作製
1902年   Benoist X線硬度計を発表
1903年   Pusey 乳癌術後予防照射を推奨
1903年   Cleaves ラジウム腔内照射を行なう
1903年   小西本店 イルフォード製X線乾板を輸入
1903年   Rutherford α線の計測にシンチレーションを利用
1904年   Rieder 消化管造影のためのビスマス粥発明
1904年   Perthes 十字火照射法を提唱
1904年   Abbe ラジウム組織内照射法開発
1904年     ドイツで陽極にタングステンを使用したガス管球が製作された
1904年   Klose 液状造影剤(ビスマスのエマルジョン)による尿管造影を試みる
1905年   Holzknechtら ビスマス粥および発泡剤投与による冑の二重造影を発表
1905年   Einstein 相対論を発表
1905年   Kienbock 写真作用を利用した線量計Quantimeterを発表
1906年   Gray 膀胱癌に対して開創照射を行なう
1906年   Kohl 集光照射法堤唱
1907年   Dominici ラジウム濾過法を考案
1907年   Jackson ビスマス粥による気管支造影の報告
1908年   Villard 線量測定に電雛作用の利用を堤唱
1909年   Schwarz 皮膚障害軽減のため圧迫照射法堤唱
1910年   Bachemら 消化管造影剤として硫酸バリウムを紹介
1910年   Kohler 骨疾患のX線診断を集成
1910年   Sabat レントゲンキモグラム法を発表
1910年     ラドンの量の単位としてCurieが定義される
1912年   Lilienfeld(ドイツ) 熱陰極X線管を考案
1912年   Laue X線回折現象を発見
1912年   Christen 半価層の概念を堤唱
1912年   Curie ラジウムの国際標準を製作
1913年   Coolidge クーリッジ管(熱陰極高真空管)を発明
1913年   Bucky ブレンデを発表
1913年   Salmon 乳房X線診断法の研究
1913年   Pohl 振子照射法堤唱
1913年     この年ドイツ婦人科学会で子宮癌のラジウム治療の好成績が認識される
1913年   後藤風雲堂 この年にドイツ ライニゲル社製X線装置イデアールを17台シーメンス・シュッケルト社製高圧変圧器・回転整流器式X線装置を40台以上輸入し納入した
1913年   カーティングブーム エンド ライフ社 この年にドイツ ファイファ社製インテンジーフアパラート4台,レフォルムアパラート3台,ブリッジアパラート4台,クリノスコープ1台を輸入し納入した
1913年   Fajans,Soddyら アイソトープの概念を堤出
1913年   Hevesy アイソトープ・トレーサー法を開発
1914年   Pohl 廻転照射法堤唱
1914年   Dessauer ファントムを用い深部線量測定
1914年   Regaud 弱線長時間照射法示唆
1914年   Stevenson ラジウムエマナチオン(ラドン)を放射線治療に利用
1914年   イーストマンコダック社 硝酸セルロースをベースとした片面乳剤のX線フイルムを発売
1914年   コッソル社 Lindemanガラスを装着したX線管を試作
1915年   森川惣助商店(後の森川製作所) キンシX線ガス管球を製造販売
1916年   イーストマンコダック社 両面乳剤,硝酸セルロースベースのX線フィルム売出さる。このフィルムは二重増感紙と組み合わせて、その後長らくX線フィルムの標準となった。
1918年   Cameron 逆行性腎孟造影法を実用化
1918年   Dandy 脳室撮影法を発表
1918年   Kronigら 各種治療条件の深部線量表完成
1918年   Coolidge 放熱器付診断専用X線管を発表
1918年   Paterson社 両面乳剤のフィルム用に二重増感紙発売
1919年   Heuser 患者の手背静脈に10%ヨウ化カリ液を注射、血管造影を試みる。(血管造影の臨床例の世界初の文献)
1919年   六桜社 さくらXレイペーパーを製造発売
1919年   Rutherford 原子核の人工的変換を確認
1920年   Seitzら 1 回大量照射法(Erlangen法)による子宮がんの治療結果を発表
1920年   Kingery 飽和照射法堤案
1920年     この頃から,スエーデンの子宮癌治療,ラジウムが手術を圧倒する
1921年   Rosenstein 気腎法を発表
1921年   Bocage 断層撮影法の特許出願
1922年   Sicard ら リピオドールによるミエログラフィ発表
1922年     ベルギー領コンゴでのラジウム生産が始まり,供給が豊富になる
1923年   Sergent リピオドールにより気管支造影実用化
1923年   Fischer 大腸の検査に2重造影法を導入
1923年   Lysholm ラジウム遠隔大量照射装置作製
1923年   アグファ社 アグファレントゲン乾板・フィルムを販売
1923年   浅沼商会 イーストマン社X線フィルムを発売
1923年   金沢医療器械 キンX線ガス管球を製造販売
1923年   落合理化学研究所 ニトラX線ガス管球を製造販売
1923年   Duane 電離箱型の線量計を実用化
1923年   Coolidge 250kVpの治療専用X線管を発表
1924年   Grahamら 経静脈性胆道造影法を発表
1924年   Schwarzら “刺激線量”の概念否定
1924年   イーストマンコダック社 不燃性(酢酸セルロースベース)のフィルムを発売
1925年   島津製作所 医用機器三条工場を新設し移転
1926年     真空管型整流器,ケノトロン(Kenotron)市販、X線装置の電力供給装置として使われるようになった
1926年   Failla ラドンシード完成
1926年   Blumgart 天然の放射性物質(Ra C)を用いて人の血流速度を測定
1927年   Moniz 脳血管撮影法発表
1927年   Binz 最初の経静脈性腎盂造影剤,セレクタン・ノイトラルを発表
1927年   帝国レントゲン テイコクガス管球を製造販売
1928年   丸中電機株式会社 診断治療各種X線装置オリンパス,エベレスト,アポロ,ゼネラル,サイレント,デンタルを製造販売
1928年     国際X線単位委員会(後のICRU)はX線量の単位としてr採用
1928年   Glasserら Victoreen線量計の原型作製
1928年   Geigerら GM管を製作
1929年   Dos Santos 腹部大動脈撮影法発表
1929年     この年血管造影剤として水溶性有機ヨウ系造影剤ウロセレクタン導入さる
1929年   浅沼商会 イーストマン社X線フィルムおよびクレーマー社X線乾板を販売
1929年   森川製作所 アグファXレイフイルム,パターソン蛍光板,クレナプル増感紙を販売
1929年   小西六社 一般用ロールフィルムさくらフィルムを発売
1929年   Bowers 世界最初の実用的回転陽極X線管ロータリックスを製作(オランダ)
1929年     血管造影剤として水溶性有機ヨウ索造影剤ウロセレクタン導入さる
1929年   後藤風雲堂 ドイツシーメンス社製X線装置ユニバーサルヘリオドール,ポリポス,ドイツ製X線管ユニバーサルU型.AEG管球などを販売
1929年   東京野上レントゲン製作所 深部治療装置ビクトリア,アイデアル,ニューサイレント型および歯科用X線装置を販売
1929年   Schlundtら 全身計測装置を作製してラジウム体内沈着量測定
1930年   旭日写真工業 ASKX線フィルムを発売,しかしその後は中止した
1930年   島津製作所 グレンツ線軟X線装置を輸入販売
1930年   島津製作所 レントゲン自動車を製造
1930年   Lauritsen 超高圧X線発生装置を開発
1931年   Monizら 肺血管撮影法発表
1931年   Van de Graaff 超高圧発生装置を製作
1931年   Ziedses des Plantes 最初の断層撮影装置製作
1932年   Coutard 遷延分割照射法による卓越した頭頸部癌治療成績発表
1932年   Cockcroft&Walton 加速器を用い原子核変換に成功
1932年   Chadwick 中性子の発見
1932年   Urey 2Hの発見
1932年   Sloanら 共振加速器型超高圧発生装置を建設
1932年   E.Laurenceら 最初のサイクロトロンを完成
1934年     断層撮影装置(Tomographie)初めて市販さる
1934年   Regaud 子宮癌の冶療法として,放射線が手術に優ることを発表
1934年   Haring 篩(ふるい)照射法推奨
1934年   Braschら 電子線治療について検討
1934年   Patersonら ラジウム治療の線量表完成
1934年   Joliot Curie 人工放射性アイソトープ発見
1934年   Szilard 核分裂のエネルギー利用について特許出願
1934年   Hevesyら 人工安定アイソトープ(重水)を用い人体実験を行なう
1935年   Abreu 集団検診のための実用的間接撮影装置作製
1935年   Hevesyら 人工ラジオアイソトープ(32P)を用いトレーサー実験を行なう
1936年   Nuvoli 左心室直接穿刺による心造影発表
1936年   Lawrence 速中性子治療の研究開始
1936年   Iams イメージオルシコンを発明(米国)
1936年   富士写真フィルム X線フィルムを製造発売
1936年   米国GE社 回転陽極X線管を製作
1936年   E.Lawrenceら サイクロトロン製アイソトープの供給を始める
1936年   J.Lawrenceら 24Na,32Pによる白血病の冶療開始
1936年 1月 東京電気 全波整流型X線装置KX一8およびKX5を製作
1937年   Castellanos ら 経静脈性心造影に成功
1937年   Huard 経皮的胆管造影法の発表
1937年   Gilbert Hodgkin氏病のX線治療で好成績を収める
1937年     理研のサイクロトロン稼動開始
1937年   Flax 振子照射装置製作
1938年   Stone 臨床例に対して速中性子線による臨床例の治療をはじめる
1938年   Livingoodら I-131を発見
1938年   Hahnら ウランの核分裂を証明
1938年   Hertzら 甲状腺の研究にI-128を利用
1939年   米国MACHLETT社 回転陽極X線管Dynamaxを発売
1939年   Alvarez 3Hを発見
1939年   Hevesy 32Pによる赤血球標識法を発明
1940年   Kruger 熱中性子捕捉療法に関する動物実験を報告
1940年   Kerst 最初のベータトロンを製作
1940年   Rubenら 14Cを発見
1941年   Bouwers 間接X線写真撮影のためのオデルカ・カメラ発表
1941年   Chamberlain イメージインテンシファイアを製作(米国)
1941年   Livingoodら 60Coを発見
1941年     I-130によるBasedow氏病の治療始まる
1942年   Fermiら 最初の原子炉建設
1942年   Marinelli β線量の単位 e.r.(レントゲン当量)を考案
1943年   Morgan ホトタイマー発表
1943年     最初のX線フィルム自動現像機発売さる
1943年   McWhirter 乳癌治療におけるMcWhirter法の有効性発表される
1944年   Strandqvist 総線量,照射期間と照射効果の関係および蓄積線量の概念の発表
1944年   米国RCA社 Zworkin Image orthicon(イメージオルシコン)を完成
1944年   Fine 放射ヨウ素による血漿タンパク質の標識を発表
1946年     I-131によるBasedow氏病の治療広まる
1946年   東京電気 全波整流型X線装置KX‐8の改良型KXO‐8を製作
1946年   Reidら I-125を発見
1946年     電子リニアアクセラレータの研究始まる
1946年     原子炉製アイソトーブの出荷始まる
1946年   Skaggs ベータトロンから直接電子線を取出す
1947年   Hahn Au-198による腔内照射法発表
1947年   Purcellら、Blochら 核磁気共鳴現象を発見
1947年   Abreu 同時多層断層撮影法発表
1947年   Mooreら 脳腫瘍のアイソトープ診断の研究を始める
1948年   Coltman イメージ・アンプリファイアを発表
1948年   Ansellら 甲状腺の大きさ推定のため投与アイソトープの体内分布図作成
1948年   Prinzmetal 心放射図(ラジオカルジオグラフィ)発表
1948年   Sievert 人体内自然放射能の測定に成功
1949年   Leborgne 乳房X線診断法を実用化
1949年   Baclesse 乳癌治療にX線単独で良好な5年治癒成績をえたことを発表
1949年   Knight NMRにおける化学シフトの発見
1949年   Stanleyら I-131標識オリーブ油による消化吸収試験を発表
1950年   英国 治療用ライナックの完成
1950年   Bode 皮膚癌の治療にベータトロンからの電子線を使用
1950年   Moon  電子ビーム走査型X線管を試作(米国)
1950年   東芝電気 全波整流型X線装置KXO5を発売
1950年   Freudichら 人工ラジオアイソトープ(192Ir)を用いた最初の遠隔大量照射装置を完成
1950年   Sterlingら 51Crによる赤血球標識法発明
1951年   Morganら イメージオルシコンを用い最初のX線テレビを完成
1951年   Farrら 臨床例に対して熱中性子捕捉療法を行なう
1951年   Johnsら 60Co遠隔大量照射装置を完成
1951年   Mayneordら、Cassenら 放射能分布自動記録装置(アイソトープスキャナー)を発明
1951年   Cassen 甲状腺スキャニングに成功
1951年 2月   I-131がはじめて少量輸入され診断に使われた。(治療に使われたのは翌1952年である)
1952年   Tobiasら 陽子線およびα粒子線治療開始
1952年   Tevesら イメージ・インテンシファイアの発表(オランダ)
1953年   Seldinger 選択的血管造影法発表
1953年   白壁ら この頃より胃の二重造影法を始める
1953年   Harmer 喉頭癌治療におけるハーマー法の発表
1953年   東芝電気 改良ベアリング二重焦点回転陽極X線管XDO‐R70を製造販売
1953年     国際放射線単位・測定委員会(ICRU)により吸収線量の単位radが定義される
1953年   Browell 脳スキャニング成功
1953年     Co-60密封線源172Ci輸入。20Ci前後づつに分けてテレコバルト装置を製造(東芝)。東京第一病院、東京第二病院、東大、阪大、慈恵医大、慶大で利用。
1953年   九州大学 九州大学放射線科ががん検診に間接撮影法を用いる(入江英雄、門田弘『集団レ線間接撮影に依る胃がんの早期発見』日本医事新報1513号、1953)
1954年   Kinmonth 直接リンパ管造影法発表
1954年   CarrとPurcell NMRにおけるスピンエコー法の発明
1954年   Stirrettら 198Auにより肝スキャニング成功
1954年   Mitchel 放射線増感剤(シンカビット)を放射線治療に応用
1955年   東芝 国産初のイメージインテンシファイアが作られる
1955年   千葉大 食道癌の多門透視照射が始まる
1955年   英国 高圧酸素下放射線治療が行われる
1955年   Hammersmith病院、英国 世界初の医学専用サイクロトロン設置
1955年   Knipping 133Xeによる肺機能検査法、”IsotopenThorakographie”発表
1955年   Brucer 甲状腺I-131摂取率測定のための標準法堤案
1955年   Churchill-Davidsonら 高圧酸素と放射線の併用療法を報告
1955年 1月   Au-198が600mCi輸入され、治療に使われた。
1956年     この頃胸部高圧撮影に関心が集まる
1956年   Puckら 細胞コロニー培養法を確立
1956年   Kodak社 ロ−ラー式自動現像装置が発売される
1956年   Anger ガンマ・カメラを製作
1956年   Taplinら アイソトープレノグラム法開発
1957年   梅垣,有水 可変絞り運動照射法を発表
1957年   千葉大 食道癌の術前照射が始まる
1957年     この後ほとんど毎年X線フィルム新製品発売されるが省略した
1957年   東芝電気 格子制御型回転陽極X線管DRX‐56・76・86を製作
1957年   ブルックヘブン国立研究所  99Mo-99mTcジェネレーターの開発
1957年   Hamolsky トリヨードチロニンの赤血球摂取率測定による甲状腺機能検査法を創案
1957年     リニアアクセラレータによるX線冶療開始
1958年   玉木正男 大動脈造影による高安氏病の診断を報告
1959年     世界初の医学専用原子炉設置(Brookhaven,アメリカ)
1959年   Yalowら 血中インシュリン測定法にラジオインムノアッセイ法導入
1960年     第19回日本医学放射線学会でX線テレビに関する学術発表が行われる
1960年   McAfeeら 腎スキャニング実用化
1960年   Nordyke レノグラム用薬剤としてI-131ヒッブラン合成
1960年   島津 15MeVベータトロン九大へ設置
1961年   東芝 15MeVベータトロン大阪市大へ設置
1961年   Fowlerら π中間子療法を示唆
1962年   Sones 選択的冠状動脈造影にSones法を始める
1962年   Pierquin イリジウムの臨床応用を発表
1962年   東芝 31MeVベータトロン放医研へ設置
1963年     この頃より我が国で胃癌集団検診が始まる
1963年     リニアアクセラレータ、三カ所(癌研、Mullard社製、4.3MeV。国立がんセンター、Varian社製、6MeV。放医研、Vickers社製、6MeV)に設置(治療開始はいずれも翌1964)
1964年   Dotter 経カテーテル血管開通術を発衷(インタペンショナル・ラジオロジーの始まり)
1964年   京大・国立がんセンター 膵癌,膀胱癌に対して術中照射(開創照射)をはじめる
1964年   Harper 放射性医薬品としての99mTcの有用性を紹介
1964年   Carr 131Csによる臨床例の心筋スキャニングに成功
1965年   田崎ら TAO式アフターローディングアプリケーターを考案
1966年   若林勝・入江五朗 ラルストロンを発表
1967年   Judkins 経皮経大腿的冠状動脈造影を始める
1967年   大井ら 経内視鏡逆行性胆管膵管造影(ERCP)の発表
1967年   Hounsfield(英国EMI社) X線CTの構想を提案
1968年   Ellis NSDの概念を発表
1969年   梅垣ら 放射線冶療計画用コンビュータシステムを発表
1969年   Hounsfield(英国EMI社) X線CT試作1号機を製作
1969年   Edwardら 67Gaによる悪性腫瘍の診断を発表
1970年     この頃から日本で経皮経肝胆道造影法PTCが世界の先頭を切って普及する
1972年   英国,EMI社 X線CTの発表
1973年   Lauterbur NMRイメージングの原理の提案
1974年   遠藤真広ら 先股脱のX線写真の自動診断を発表
1974年   東芝 胃集検用X線テレビ間接撮影装置(線量ミラーカメラの1/30)を製作
1975年     日本,自動車賠償保険の基金によるX線CTの大量購入を決定
1975年   東京女子医大 EMI社製頭部用X線CT装置の実用開始
1975年   名古屋保健衛生大学 日立メディコの頭部用X線CT1号機が設置される
1975年   GE社 第三世代X線CT(ファンビーム方式5秒スキャン)を発表
1976年   千葉大,日本電子 世界最初の電子走査型X線CTが稼動しはじめる
1976年   富士写真フィルム コンビューテッドラジオグラフィーの研究を開始
1977年   飯沼・舘野・梅垣・渡辺 電子ビーム走査式X線管を用いる超高速CTの構想を発表
1978年   Kruger ら DSA(Digital Subtraction Angiography)を発表
1978年   放医研 陽子線治療はじめる
1979年   長瀬産業 コダック社製CRTイメージングフィルムシリーズを販売
1980年     この頃より経カテーテル血管開通術が普及する
1980年     この頃よりMRIの臨床利用が立ち上がる
1980年   放医研 FDG/PET臨床利用はじめる
1980年   都立駒込病院(松田)  コンピュータ制御原体照射装置完成
1981年   富士写真フイルム コンピューテッドラジオグラフイー(CR)が開発される
1981年     核磁気共鳴医学研究会発足
1981年   国立がんセンター マイクロトロン稼動
1982年   Dwyer PACSの概念を提唱
1982年   日立メディコ 高精細型X線テレビXTV-V1000(走査線1000本)を製作
1982年   Boyd(米国) 電子走査型X線管を使用した超高速CT(IMATRON)を完成
1982年   中津川市民病院  日本初のMRI装置設置
1983年     非イオン性また低浸透圧造影剤による髄腔,血管造影が行われ始める
1983年   東芝 シネアンギオ用ステレオX線管DRX-W625HD-SAを製作
1983年   ジョンズ・ホプキンス大学 神経受容体(ドーパミンD2受容体)のイメージング始める
1985年   東芝 FCRとX線装置のシステム化を開始
1986年     この頃より一日多分割照射がさかんになる
1987年   森一生(東芝) らせんCTの特許
1987年   日立メディコ  永久磁石式MRI装置MRP-20シリーズを完成
1988年     日本放射線腫瘍学会発足
1990年   東芝メディカル・日立メディコ  ヘリカルスキャン対応X線CTを発売
1990年   田中レントゲン インバータ式回診型X線装置GM1215を製造販売
1991年     らせんCTが売り出される
1991年     コンピュータ支援画像診断学会発足
1991年     DICOM規格が制定され、北米放射線学会で接続試験が行われる
1992年     3次元CT画像構築、臨床利用
1993年   東京都予防医学協会 低線量CTによる肺がん検診始める
1994年     胸部CT検診研究会発足
1994年   放医研 重粒子治療始める
1999年     各病院でマルチスライスCT稼動

 

Copyright (C) 2001 Japan Industries Association of Radiological Systems, All rights reserved.