PACSの設置台数の1987年から2002年までの変遷をPACSのサイズ別に [グラフ6-1] で示す。水色のSmall-sizeとは接続している画像端末台数が4台以下、赤色のMedium-sizeとは画像端末台数が5台〜14台、黄色のlarge-sizeとは画像端末台数が15台〜1300台のシステムを指す。
2001年から2010年までのPACSの進展は [グラフ6-2] でPACS, HIS(病院情報システム)、RIS(放射線診療情報)、EPR(電子カルテ)を設置している病院数の変遷で表現した。注目すべきなのは病院情報システムが2007年以後は飽和してしまっているのにPACSは更に増え続けていることである。
□グラフ6-2 PACS,HIS(病院情報システム)、RIS(放射線診療情報)、EPR(電子カルテ)を設置している病院数の変遷
PACSの機能の追加による普及の進展は [グラフ6-3] においても現れている。重要な機能であるところの3次元表示や動画表示機能の取り入れである。むしろこれらお付加機能普及が飽和状態になってもPACS使用する病院数はなおも増え続けている。
□グラフ6-3 PACSにおいて三次元表示と動画表示機能を備えた設置台数の変遷
以上の現象(2010年でも未だ飽和状態に到達していない。)を逆に見るとPACSの普及には時間がかかり過ぎているということであろう。 何故であろうか。成長を続けながらも実用化までにかかった年月が長かったのは主としてハードウエアの能力が充分ではなかったことが大きな原因であったと考えられる。CTやMRIやリニアックなどが臨床的な実用化が速かったのは、適切なハードウエア技術と供給能力が手元にあったからである。つまりsupply chainが産業界に早くから存在していたので適切な価格で病院に販売でき、それが患者に大きな価値を与え、臨床医も価値を認め、診療報酬請求に支払いを認めたからである。
これに反し、PACSはコンピュータのスピードやモニターの表示の画質が充分ではなくsupply chainが途中で途切れており、複数の技術要素が複雑に絡み合っていた。これらの関連技術の成長とコストの適正化で未だに成長を続けている。
ハードウエアの進歩ばかりではなく、インターフェイスの標準化がPACSの普及に大きな貢献をした。DICOMの前身であるACR-NEMA規格の開始から普及までの時間が20年位かかったが、これの普及によりインターフェイスのハードとソフトに大きな代価を支払わなくても済むようになったので、病院も納得してPACSを購入し、急に普及し続けてきた。
PCASの更なる重要な機能に直接診断への補助となる画像処理技術がある。 [グラフ6-4] に示す画像処理対象技術に関する論文数の変遷を見てみるとPACSの普及との関連が上記のプロセスを辿ったことと関連している事がわかる。これからはCAD(computer-aided diagnosesコンピュータ支援診断) の進展と密接な関係を持つことが予想される。
日本に加え、韓国と中国を含めたアジアのPACS開発の歴史を□[参考資料6-5]で示す。
□[参考資料6-5] Kiyonari Inamura and Jong Hyo Kim: History of PACS in Asia.
European Journal of Radiology.78(2011) 184-189. journal homepage:www.elsevier.com/locates/ejrad