昭和
その他の代表的な機器|  明治  |  大正  |  昭和  |  平成  |
Produced by JIRA
1926年〜1988年の詳細件数 904件

西 暦
で き ご と
1926年
Failla: Radon Golden Seed を考案
1926年
Schliephake: Radiothermie治療を開始
1926年
1月
Janker:X線映画の研究 1926-1930
1926年
3月
原 治己 調査による深部治療装置台数 国産 36台 外国製 55台
1926年
3月
原 治己 調査による深部治療装置台数 国産 36台 外国製 55台
1926年
7月
大日本セルロイド 東洋乾板と提携
1927年
1月
Dauvillier:X線透視像を映像信号に変換し電送を試みた
1927年
1月
大阪レントゲン合資会社 診断治療用キルシュ号を販売
1927年
1月
金沢医療器械 キン レントゲン管球 A-D型(ガス)を製造販売
1927年
1月
ミカサ商会 ミカバリウムを発売 浦野 多門治創製
1927年
1月
第一製薬 リピヨドール 「LAFAY」を発売
1927年
1月
浅沼商会 イーストマン社製 X線フィルム及び乾板を販売
1927年
2月
旭日写真工業 国産最初のロールフィルム 菊 を発売
1928年
Coutard (フランス):Coutard 照射法(遷延分割照射法)を提唱
1928年
Wideroe:Linear accelerator (粒子加速直線加速器) を発明
1928年
Harmer 喉頭癌のラジウム埋没療法の成績を発表、37%の治癒率を挙げた
1928年
1月
Zworykin:イメージアイコノスコープを発明し、テレビジョンに応用した
1928年
1月
Russel Reynolds:X線間接撮影 (f 1.9レンズ使用)
1928年
1月
市河思誠堂 米国ブレディー社製 ポッター・ブッキーブレンデを輸入販売
1928年
1月
酒井信正商店 シーメンス製 撮影用ゲッツ管球を輸入販売
1928年
1月
丸中電機 診断治療各種X線装置 オリンパス、エベレスト、アポロ、ゼネラル、サイレント、デンタルを製造販売
1928年
1月
島津 艦載用ダイアナ号を製作 携帯用X線装置を製作 スペシアルボレックス号を製作 ラジオ雑音防止器を機械整流式X線装置にとりつけた
1928年
4月
小泉 菊太 渋谷レントゲン製作所を創立 水冷 空冷 各種ガス レントゲン管球を製造販売 S型は立体撮影用
1929年
中島良貞九州大学に放射線治療学講座を開設し肺結核の放射線治療を開始した
1929年
1月
Bowers (オランダPhilips) 回転陽極X線管を発表
1929年
1月
二瓶製作所 レントゲン発生装置を製作
1929年
1月
東京電気 ケノトロン KR-150 KR-230 製造開始 100mA R型クーリッジ 管 発売
1929年
1月
島津製作所 三相交流X線装置 愛宕号 ボレックス号を完成
1929年
1月
島津製作所 キュストナー氏標準線量計を輸入販売
1929年
1月
久保田製作所 単電纜式レントゲン撮影治療機械 (特殊クーリッジ管使用) を製 作
1929年
1月
浅沼商会 イーストマン社 レントゲン フィルム 及び クレマー社レントゲン乾板を販売
1929年
1月
森川製作所 森川レントゲン管球、 アグファXレイフィルム、パターソン蛍光板、クレナブル増感紙を販売
1929年
1月
後藤風雲堂 シーメンス社製ユニバーサル ヘリオドール、 ポリポス、 ドイツ製ユニバーサル管U型、AEG管球等を販売
1929年
1月
島津製作所 ミュラー社回転陽極X線管 ロータリックス を輸入販売を輸入 販売
1929年
1月
大日本レントゲン製作所 ケノユニバーサル(治療) ケノトリファ(三相交流診断) ケノポテンシアル(300KVp治療) を製作
1929年
1月
渋谷レントゲン製作所 ガス管球 フォンタナC型 R型を製造 シブヤ軽便シャウカステンを製造販売
1929年
1月
東京野上レントゲン製作所 深部治療装置 ビクトリア、 アイデアル、ニューサイレント型及び歯科用レントゲン装置を販売
1929年
4月
関西レントゲン12日会を結成 メンバーは 島津製作所 大日本レントゲン 製作所 森川製作所 三栄製作所 後藤風雲堂である
1929年
7月
鉛粉塗料(大日本塗料KKの前身)日本電池KKから分離創立
1930年
Cockroft:カスケード式超高圧発生装置を発明
1930年
Schaefer & Witte:近接照射治療法
1930年
Regaud 子宮癌ラジウム治療パリ法を発表
1930年
1月
島津製作所 グレンツ線X線装置を輸入販売
1930年
1月
東京電気 GE Xレイ社 (元ビクターXレイ社)製品の一手販売契約を締 結
1930年
1月
友田合資会社 造影剤 レバリット、 ラクトレバリット を発売
1930年
1月
コダック ジャパン リミテッド社 イーストマン デュプリタイズド Xレイ フィルム (両面フィルム)を発売
1930年
1月
東京電気 ギバ複増感紙を製作を製作
1930年
1月
桜井 忠三 合名会社 大阪レントゲン製作所を設立 丸中機械から分離独立
1930年
1月
Ernest O. Lawrence & M. S. Livingstone:加速器サイクロトロン を発明
1930年
10月
東京電気は日本医療電気を設立した東芝メディカルの前身 初代社長 奥村 亀太郎
1930年
11月
関戸信吉 島津製作所技師長となる
1930年
12月
日本電気創立
1931年
1月
島津製作所 増感紙の研究を開始
1931年
1月
東京電気 川崎市堀川町にX線管球製作及びX線装置製作工場を新設
1931年
1月
東京電気 遮蔽式X線管 「ジャパニックス」を完成 不破 橘三 田中 正道
1931年
1月
島津製作所 普及型透視診断装置 保津号 八坂号を発売
1931年
1月
渋谷レントゲン製作所 自己整流型 ガスX線管 セルフィックスを製作販売
1931年
1月
森川製作所 ベンチール オリエンス A号 (150KVp 120mA) を製造販売
1931年
7月
大日本セルロイド ロールフィルムを試作
1932年
Sloan:共振変圧器型超高圧発生装置を発明
1932年
Courtard 遷延分割X線照射法による良好な治療成績を発表
1932年
1月
Siemens社 回転陽極X線管 Pantixを発売
1932年
1月
G.Grossmann:Tomograph 断層撮影装置を完成、Sanitas社から発売
1932年
1月
Janker:間接撮影法によるX線映画撮影
1932年
1月
東京電気 ギバ75型 自己整流型X線装置 (非防電撃) を製作、 透視撮影台を製作
1932年
1月
東京電気 日本最初の防電撃防X線型CDX歯科用X線装置を製作
1933年
Liverdon, F.:篩照射法の研究
1933年
Stone (米国):Fast neutron による治療
1933年
島津製作所 深部治療用X線装置 博愛 D-450 450KVp 5mA を完成
1933年
1月
島津製作所 深部治療用X線装置 博愛 D-450 450KVp 5mA を完成
1933年
1月
大日本セルロイド 足柄工場を新設 医療用フィルムの生産を計画
1933年
4月
東京電気 全波整流式防電撃X線装置 KX-8 及び KX-5 を 製作発売
1933年
4月
東京電気 蓄電器放電式X線装置 KCD-10型を製作 高圧印加方式 原田
1933年
5月
小西六社 さくらレントゲンフィルムを発売
1934年
Haring:篩照射法の研究
1934年
Woenckhaus:篩照射法の研究
1934年
Paterson & Parker ラジウム組織内照射の方式と線量計算法を発表
1934年
Brasch他 電子線治療を開始した
1934年
1月
Joliot-Curie夫妻 人工放射線核種を発見
1934年
1月
富士写真フィルム 大日本セルロイドから独立し会社創立
1934年
3月
渡部 求 風雲堂電機製作所を設立し社長となる
1934年
7月
関東関西合同レントゲン懇談会
1934年
7月
クーリッジ管特許消滅 中泉 正徳の努力が多大であった
1935年
Heyman 子宮癌のストックホルム法による良好な治療成績を発表
1935年
1月
Russell Reynolds:Zeiss Biotar f0.85 レンズを使用し間接X線映画撮影
1935年
1月
島津製作所 防電撃防X線移動用X線装置 HM80形を完成
1935年
4月
東京電気 畜電器放電式X線装置KCD-10型を製作
1935年
4月
シーメンス社 三相交流X線装置 Gigantos と回転陽極X線管 Pantix を名古屋大学病院に納入
1936年
J.Lawrence:白血病の治療に人工放射性同位元素P32を使用
1936年
中泉 正徳:集光照射法を発表
1936年
Heyman 子宮体癌のラジウムパッキング治療法を発表
1936年
1月
E.O.Lawrence サイクロトロンを使って人工放射線核種を造る
1936年
1月
東京電気 断層撮影装置を製作
1936年
1月
富士写真フィルム 国産レントゲンフィルムを製造発売
1936年
1月
島津製作所 防電撃型診断用X線装置 桂号 500mA を完成
1936年
1月
東京電気 ギバ75型 自己整流型X線装置 を防電撃化したSP-75型X線装置と透視撮影台を製作
1936年
1月
東京電気 全波整流型X線装置 KX-8 及び KX-5 の改良型 KXO-8 及び KXO-5 を製作
1936年
1月
ブラジルで Manuel de Abreuが間接撮影を始めた
1936年
4月
古賀良彦 X線間接撮影法の研究を発表
1936年
5月
Max D.Mayer 1936. X線による中絶10年間200例の集計副作用は述べていない
1937年
Dessauer, F., Lion,K., & Muhterem,G.:回転照射法の研究
1937年
du Mesnil de Rochmont:回転照射法の研究
1937年
200KVX線による照射開始
1937年
1月
Watson, W.:回転横断撮影法を発表
1937年
5月
津守 豊治 日本医療電気社長に就任
1938年
Kohler A.:回転照射法の研究
1938年
Reiss, A.:回転照射法の研究
1938年
X線の発見と管球及び高電圧装置の進歩
1938年
1月
Kodiahos:蓄電器放電式X線装置を発明
1938年
1月
島津製作所 集団検診用間接撮影装置を製作
1938年
1月
島津製作所 防電撃型診断用X線装置 桂号 1000mA を完成
1938年
6月
日本レントゲン工業会結成 島津製作所 日本医療電気 風雲堂 肥田電機工業 久保田製作所 大日本レントゲン 森川 渋谷レントゲン製作所
1938年
9月
Stone R.S. バークレイで速中性子線治療を開始した1943.2 までに総計240名 の治療が行われた
1939年
1月
国安 卯一 日本医療電気社長に就任
1939年
1月
島津製作所 簡易断面撮影装置 (レール移動式)を発売
1939年
7月
東京電気 芝浦製作所と合併し、東京芝浦電気を設立
1940年
Kruger:熱中性子捕獲療法の実験を行った
1940年
Kerst 電子加速器トロンを完成した
1940年
1月
富士写真フィルム 不燃性X線フイルムを発売
1940年
1月
小西六 さくらX線間接撮影用フィルム ブロニー版を発売
1940年
1月
島津製作所 断面撮影装置 (円弧運動式)を発売
1941年
McWhirter 単純乳房切除とX線照射による乳癌治療を開始した
1941年
1月
島津製作所 立位断面撮影装置 を発売
1941年
1月
精機光学工業(後のキャノンカメラ)が海軍型間接撮影装置の本格生産を開始したツァイスゾナーレンズを装備していた
1941年
5月
日本医科電機協会を結成
1941年
11月
精機光学工業(後のキャノンカメラ)が国産レンズ ニッコール及びセレナーを装備した間接撮影装置の生産を開始した
1942年
Herz, Roberts, Hamilton, Lawrence: 放射性ヨードI-131で甲状腺機能昂進症を治療
1942年
1月
小西六 さくらX線歯科撮影用フィルム を発売
1942年
1月
東洋写真工業  Xレイ ペーパーを本格的に製造発売
1942年
1月
Russel Morgan:フォトタイマーを考案
1943年
4月
小西六社 小西六写真工業に社名変更
1943年
8月
日本医科電機協会をを改組し、日本医科電機組合を結成
1944年
Mayneord 容積線量の概念を発表した
1944年
1月
東京電気 松島 清 耐高温ベアリング回転陽極X線管を製作 しかし戦時中のため生産できず
1945年
Nielsen X線回転照射法により食道癌を治療し良好な成績を発表した
1945年
9月
東芝電気 医療機器製造部門を富士工場に移転
1946年
Lamarque 体腔X線管により直腸癌を治療し良好な成績を発表した
1946年
1月
東芝富士工場で油浸式X線管容器を製作
1946年
1月
東芝富士工場で 全波整流型X線装置 KXO-8 の製作を再開した
1946年
1月
大阪レントゲン製作所 に組織を変更 ポータブルX線装置を中心に生産を再開
1946年
5月
日本医科電機組合をを改組し、日本医科電機会を結成
1946年
5月
飯田晋康「三田屋製作所」を豊島区千早町に設立
1947年
Hahn 放射性金コロイドの体腔内注入療法を発表
1948年
米国イリノイ大学とカナダオンタリオ癌研究所でベータトロンX線治療が開始された
1948年
1月
R.H.Morgan 蛍光版によるX線テレビジョンを考案
1948年
1月
J.W.Coltman イメージインテンシファイアを開発
1948年
1月
東芝電気 集検用可搬型自己整流式X線間接撮影装置 PF-100型を製作
1948年
2月
富士X-レイ創刊 (現在は富士メディカル フォーラム)
1948年
2月
富士写真フィルム 医療用Xレイ フィルム(間接撮影用ロールフィルム)を 発売フィルムを製造発売
1948年
9月
葛 芳夫 日本医療電気(東芝メディカルの前身)社長に就任
1949年
1月
東芝電気 回転陽極X線管の実用化の研究 担当 岩崎 耕作
1949年
1月
大阪レントゲン製作所 蓄電器放電式X線装置 シリウス号を発売
1949年
4月
島津製作所 断層撮影装置 (平行移動型) HLP-49を発売
1949年
9月
東芝電気 深部治療用X線治療装置 KXC-17型(200Kvp 6mA)を製作
1950年
1月
Robert J. Moon 電子ビーム走査型X線テレビを発表
1950年
1月
東芝電気 全波整流型X線装置 KXO-8 及び KXO-5 を再発売
1950年
1月
東芝電気 KCD-A型蓄電器放電式X線装置を製作発売
1950年
1月
東芝電気 A型断層撮影装置(レヤーグラフ)を製作発売 担当 深津 久治
1950年
4月
島津製作所 蓄電器放電式X線装置 清滝号を発売
1950年
4月
島津製作所 多段蓄電器方式蓄電器放電式X線装置 宇治号を製作 被写体からの散乱線をカツトする防護箱を付属
1950年
6月
東芝電気 自動車搭載用蓄電器放電式X線装置KCD-B型を製作
1951年
高橋信次(日本) X線フィルムを利用した回転横断撮影法を発表
1951年
Farr ブルックヘブン医用原子炉で脳腫瘍の熱中性子捕獲療法を開始した
1951年
テレコバルト:60Co大量照射器設計小委員会が発足、1951年に東大などで治療開始
1951年
1月
文部省研究班(中泉班長)が発足、コバルト60遠隔治療装置の開発開始
1951年
1月
島津製作所 ガイガー管式サーベイメータを製作
1951年
5月
小泉 菊太 小泉X線工社を設立
1951年
5月
渋谷レントゲン製作所 X線装置の製造を日立亀戸工場に移管
1951年
5月
小宮 虎之助 日本医療電気 社長に就任
1951年
6月
日立製作所 亀戸工場に設計部高圧電機課を設置し、X線装置製作の準備を 開始課長は和田 正脩
1952年
Tobias:シンクロトロンによる陽子・ヘリウムイオン治療を開始
1952年
島津製作所 深部治療装置 信愛号 200KV 20mA を発売
1952年
1月
東芝電気 国産コバルト60遠隔治療装置第1号RIT-II型簡易手動操作方式20C用
1952年
1月
島津製作所 深部治療装置 信愛号 200KV 20mA を発売
1952年
1月
ウエスティングハウス社・フィリップス社 5インチ イメージインテンシファイアを完成発売
1952年
4月
日立製作所 診断用X線装置DR-10/2S 1号機を発表 茂原工場で製作した二重焦点X線管SDR-10/2を装備
1952年
4月
島津製作所 立位回転横断撮影装置を製作
1952年
10月
日本医科電機組合を再結成
1953年
Henschke:遠隔操作アフターローディング治療法を発表
1953年
島津製作所 医療用ベータトロンの研究開発
1953年
1月
Seldinger 血管穿刺カテーテル挿入による選択的血管造影法を発表
1953年
1月
Sweet & Brownell 対向2検出器同時計数方式ポジトロンスキャナを製作
1953年
1月
Henschke 遠隔操作アフターローディング治療法を発表
1953年
1月
島津製作所 医療用ベータトロンの研究開発
1953年
1月
島津製作所 三点間隙放電式波尾切断回路を使用する蓄電器放電式X線装置 を発表
1953年
4月
東芝電気 テレコバルト治療装置 RIT-1型を製作 国立東京第 二病院に設置
1953年
4月
密封コバルト60172Ciを初輸入各病院に分配
1953年
4月
東芝電気株式会社 テレコバルト治療装置 RIT−1型を製作 国立東京第 二病院に設置
1953年
5月
日立レントゲン 亀戸工場で本格的にX線装置生産を開始 主任 和 田 正脩
1953年
6月
東芝電気 X線立体撮影用撮影台を製作
1953年
6月
Gray J.H.他癌の難治の原因は低酸素圧状態と発表 BJR 26:638-648,1953
1953年
12月
中部医科電機組合を結成
1954年
1月
関西日本レントゲン工業会発足
1954年
1月
日本医療電気 は 東芝医療電気 に社名変更
1954年
1月
河村 允明 東芝医療電気社長に就任
1954年
1月
島津製作所 回転陽極X線管 サークレックスを生産開始
1954年
1月
東芝電気 二重焦点回転陽極X線管 DO-R-70 を製作
1954年
4月
東芝電気 高圧撮影用X線装置 KXO-14型 を製作
1954年
4月
富士写真フィルム工業 工業用Xレイ フィルム(タイプ80,200,300,400)を発売
1954年
9月
富士Xレイコンテストを開催 (1963マデ毎年開催)
1954年
9月
東芝電気 大出力深部治療用X線治療装置 KXC-18型(200Kvp 25mA)を製作
1955年
Tsien コンピュータを利用する線量計算法を発表
1955年
Churchill-Davidson 高圧酸素吸入照射治療の好成績を発表
1955年
2月
東芝電気 振子回転照射X線治療装置 KXC-18-3型を製作
1955年
3月
東芝電気 表在治療用軟X線治療装置 STW-20-20型を製作
1955年
4月
島津製作所 医療用6MEVベータトロンを完成し、京大病院で実用試験を行った
1955年
4月
島津製作所 スタンド型テレコバルト治療装置 ST-200を製作 コバルト200キュリー
1955年
4月
東芝電気 スタンド型テレコバルト治療装置 RI-101型を製作 コバルト100キュリー を装備
1955年
4月
島津製作所 スポットショット速写装置付き透視撮影台 AS-54を製作
1955年
4月
東芝電気 集検用可搬型畜電器放電式X線装置KCD-G型を製作
1955年
4月
飯田晋康 「三田屋製作所」MSグリッドを発表
1955年
4月
島津製作所 スタンド型テレコバルト治療装置 ST-200を製作 コバルト200キュリー
1955年
4月
島津製作所 医療用6MEVベータトロンを完成し、京大病院で実用試験を行った
1955年
4月
東芝 振子照射X線治療装置 KXC-18-3型を製作
1955年
9月
島津製作所 5インチ イメージインテンシファイア の試作に成功
1956年
梅垣 洋一郎:食道癌をX線透視照射法で治療し、良好な成績を挙げた
1956年
米国Donner研究所でAnger:アンガー型シンチカメラ を製作
1956年
1月
東芝電気 三極X線管の実用化 担当 滋賀 弘一郎
1956年
1月
東芝電気 二管球方式高級畜電器放電式X線装置KCD-J型を製作
1956年
1月
小泉 菊太 ソフテックスX線管及び装置の研究と販売 小泉X線工社をソフテックスに改名
1956年
2月
富士写真フィルム工業 医療用Xレイ フィルムTXを発売(不燃性ベース ヘ転換完了)
1956年
3月
日立製作所 茂原工場で回転陽極X線管(ヒッタノード)DOR-502を製作
1956年
4月
梅垣 洋一郎 回転照射の自動照準法を発表 体内の放射線検出器により治療ビームの位置を制御し自動照準する方法
1956年
4月
島津製作所 電動式断層撮影装置を製作
1956年
4月
東芝電気 多軌道方式断層撮影装置レヤーグラフB型及びC型を製 作発売
1956年
4月
島津製作所 岐阜大学玉木教授と協力し心臓血管撮影用連続撮影装置を製作
1956年
4月
東芝電気 回転型テレコバルト治療装置 RI-107型を製作 癌研究会付属 病院に設置担当 牧野 純夫
1956年
4月
大阪レントゲン 三極X線管を応用した全自動型蓄電器放電式X線 装置M-8号を完成
1956年
4月
東芝電気 5インチ イメージインテンシファイア M7018を製作販売
1956年
4月
東芝電気株式会社 テレコバルト治療装置 RI-107型を製作 癌研究会付属 病院に設置担当 牧野 純夫
1956年
4月
東芝電気株式会社 医療用15Mev回転照射型ベータトロンを完成 担当 鴨川 浩
1956年
6月
日本保安用品協会 「放射線障害防止用品部会」を新設 フィルムバッジサービス中央ステーションも開設
1956年
7月
富士写真フィルム工業 電子計算機 FUJIC を製作
1956年
7月
日立製作所 深部治療用X線装置 TR-250-15 を完成
1956年
7月
日立製作所 振子集光照射X線装置 TR-250-15 を完成し千葉大に設置
1956年
11月
富士写真フィルム工業 中性子バッジ用フィルムの試作研究
1957年
島津製作所 SCC-1型 シンチスキャナの商品化に成功
1957年
Thomas 全身照射と骨髄移植による白血病治療を開始した
1957年
島津製作所 振子照射型治療装置 ATHP-200を製作
1957年
1月
島津製作所 放射性ガス モニターを製作
1957年
1月
東芝医療電気 は 東芝放射線 に社名変更
1957年
1月
島津製作所 振子照射型治療装置 ATHP-200を製作
1957年
4月
梅垣 洋一郎 可変絞り回転照射法(原体照射法)を発表
1957年
4月
島津製作所 5インチ イメージインテンシファイアを製作
1957年
4月
島津製作所 同時多層断層撮影装置を製作
1957年
4月
島津製作所 二重回転型型テレコバルト治療装置 RT-2000を製作
1957年
4月
島津製作所 X線映画撮影用2方向切換光学系付き5インチ イメージインテンシファイア管を製作
1957年
4月
島津製作所 二重回転型型テレコバルト治療装置 RT-2000を製作
1957年
4月
梅垣 洋一郎:可変絞り回転照射法(原体照射法)を発表
1957年
12月
東芝電気  5インチ イメージインテンシファイアを製作
1958年
東芝 2インチ1検出器シンチスキャナML-401型を国立岩国病院納入
1958年
梅垣洋一郎(日本) エミッション型による逆投影法を発表
1958年
1月
島津製作所 シンチレーション サーベイメータを製作
1958年
1月
島津製作所 三極回転陽極X線管 CIRCLEX-2GAを製作
1958年
4月
東芝電気 表在治療用ベリリウム窓X線管による超軟X線装置STX-50-1型を製作
1958年
4月
島津製作所 天井走行式X線管指示装置 エアロフレックス を製作
1958年
4月
東芝電気 気送式コバルト近接照射治療装置 RI-127型を製作
1958年
4月
東芝電気 回転照射型テレセシウム治療装置 RI-141型を製作
1958年
4月
東芝電気株式会社 気送式コバルト近接照射治療装置 RI-127型を製作
1958年
9月
東芝電気 自動車搭載集検用胃腸間接撮影装置 KCD-10-2型を製作
1959年
島津製作所 SCC-5型 2インチクリスタルのシンチスキャナ製造開始.
1959年
Proimos:立体可変絞り回転照射法(原体照射法)を発表
1959年
1月
Proimos 立体可変絞り回転照射法(原体照射法)を発表
1959年
3月
日立製作所 テレコバルト治療装置 TI-600-C を完成
1959年
3月
日立製作所 テレコバルト治療装置 TI-600-C を完成
1959年
4月
島津製作所 往復運動式ブッキー撮影台を製作
1959年
4月
東芝電気 振子集光照射X線治療装置 KXC-18-6型を製作 信州大学医学部に設置
1959年
4月
東芝電気 ハンガー式自動現像器を試作 展示
1959年
4月
島津製作所 振子集光照射型治療装置 RTX-250を製作
1959年
4月
東芝電気 コバルト治療装置をフィリピンとスペインへ初輸出
1959年
4月
島津製作所 振子集光照射型治療装置 RTX-250を製作
1959年
4月
東芝 振子集光照射X線治療装置 KXC-18-6型を製作 信州大学医学部に設置
1960年
高橋 信次:原体照射法の研究
1960年
東芝 回転横断撮影装置CS-B形を開発
1960年
1月
東芝電気 医療機器製造部門を新設の玉川工場に移転
1960年
1月
島津製作所 パラメトロン電子計算機 SPAC-1000を完成
1960年
4月
日立レントゲン 胃間接透視撮影装置を製作
1960年
4月
島津製作所 医療用15MEVベータトロンを完成し、九大病院に納入した
1960年
4月
島津製作所 胃集団検診用間接撮影蓄電器放電式装置 嵯峨125号を製作
1960年
4月
東芝電気 天井走行式X線管支持装置M型を製作
1960年
4月
島津製作所 医療用15MEVベータトロンを完成し、九大病院に納入した
1960年
7月
東芝電気 X線テレビ イメージスコープ 506/507型を製作、5インチイメージインテンシファイアを装着
1960年
8月
フィリップス社のイメージインテンシファイアと松下のテレビカメラを使用したX線テレビの無線電送実験
1960年
8月
W.H.Oldendorf(米) ガンマ線による単純逆投影法で断面像計測を発表
1960年
9月
東芝電気 外科用5インチ イメージインテンシファイア装置 SX-406を製作
1960年
10月
大阪レントゲン製作所 日立製作所と業務提携
1960年
12月
日立製作所 天井走向式X線管保持装置 SAX-I 完成
1961年
島津製作所 C-18型 コントラスタを開発
1961年
島津製作所 UTC-5 型レノグラム検査装置を発売
1961年
島津製作所 ヒューマンカウンタの製造
1961年
Fowler π中間子による放射線治療の可能性を示唆した
1961年
Kjellberg:ハーバード大学サイクロトロンで陽子線治療を開始
1961年
1月
松田一 基礎研究によりX線TVの在り方につき結論を得た
1961年
1月
島津製作所と松下電器産業が協力し遠隔操作方式X線テレビを完成
1961年
1月
キャノンカメラが独自の方式による間接撮影用ミラーカメラを完成した
1961年
1月
米国マサチューセッツ総合病院でSuitが陽子線治療を開始し、網膜悪性黒色腫の治療に好成績を挙げた
1961年
4月
日立レントゲン イメージオルシコン方式X線テレビを発表
1961年
4月
日立レントゲン 泌尿器科用X線検診台 TM-101 を発表
1961年
4月
島津製作所 連続撮影用大負荷回転陽極X線管 S型サークレックスを製作 ターゲット直径110mm
1961年
4月
島津製作所 大容量(12000キュリー)一重回転テレコバルト治療装置 RTGS-2A を製作
1961年
4月
東芝電気 医療用31Mev回転照射型ベータトロンを製作し、放射線医学総合研究所に納入
1961年
4月
東芝電気 医療用15Mev回転照射型電子線・X線両用ベータトロンを製作し、大阪市立大学医学部付属病院に設置
1961年
4月
東芝電気 病室用移動型畜電器放電式X線装置 KCD-M-3Rを製作
1961年
4月
島津製作所 大容量(12000キュリー)一重回転テレコバルト治療装置 RTGS-2A を製作
1961年
4月
東芝電気株式会社 医療用15Mev回転照射型電子線・X線両用ベータトロンを製作し、大阪市立大学医学部付属病院に設置
1961年
4月
東芝電気株式会社 医療用31Mev回転照射型ベータトロンを製作し、放射線医学総合研究所に納入
1961年
4月
東芝電気 X線テレビ映像を東京聖路加国際病院から無線中継
1961年
4月
島津製作所、松下電器、フィリップス社によるX線テレビ像が無線伝送される
1962年
島津製作所 SCC-30型 3インチ検出器のシンチスキャナを製造開始
1962年
1月
島津製作所 自動現像器を住友病院に納入
1962年
1月
富士写真フィルム ハンガー式自動現像器 XP-1 を発売
1962年
3月
東芝電気 専用X線テレビ寝台RA型を完成 第一号機を大阪大学に納入
1962年
4月
島津製作所 9インチ イメージアンプリファイア を製作し納入
1962年
4月
東芝電気 臥位回転横断撮影装置兼治療計画装置を製作し、豊橋市 民病院に設置
1962年
4月
東芝電気 原体絞り付テレコバルト回転照射治療装置 RI-151型を製作 愛知がんセンターに設置
1962年
4月
島津製作所 撮影条件自動選択式透視撮影台 オートヒット を製作 国立がんセン タ梅垣との協力による
1962年
4月
東芝電気株式会社 原体絞り付テレコバルト回転照射治療装置 RI-151型を製作 愛知がんセンターに設置
1962年
5月
原田 音治郎 東芝放射線社長に就任
1962年
11月
日立レントゲン ビジコン方式X線テレビXTV-V-2 を発表
1962年
12月
日立レントゲン 胃集団検診用車載型オデルカカメラ付X線装置を発表
1963年
東芝 スキャナ記録にマルチドット,カラーを採用したRDA-102商品化
1963年
島津製作所 SCC-Y1型 多重シンチグラム記録装置( シンチグラムのカラー表示)に成功
1963年
Kuhl(米) ラジオアイソトープスキャンによるCT画像計測を発表
1963年
Cormack(米) X線ビームスキャンによる投影法を発表
1963年
1月
東芝電気 7インチ、9インチイメージインテンシファイアTVシステム開発
1963年
1月
島津製作所 臥位回転横断撮影装置を製作
1963年
4月
小西六社 国産最初のローラー搬送式自動現像器を完成
1963年
4月
日本電気 米国Varian社製6MeV 医用ライナック Clinac-6 を国立がんセンターに納入設置
1963年
4月
日本シーメンス ドイツ シーメンス社製 15MeVX線電子線兼用医療用ベータトロンを国立がんセンターに納入設置
1963年
4月
東芝電気 アナログ計算機制御方式テレコバルト回転照射治療装置 R I-107特型 国立がんセンター病院に設置
1963年
4月
東芝電気株式会社 アナログ計算機制御方式テレコバルト回転照射治療装置 R I-107特型 国立がんセンター病院に設置
1963年
4月
日本シーメンス株式会社 ドイツ シーメンス社製 15MeVX線電子線兼用医療用ベータトロンを納入設置
1963年
4月
日本電気株式会社 米国Varian社製6MeV 医用ライナック Clinac-6 を納入設置
1963年
9月
日立レントゲン 蛍光板直接撮像方式X線テレビ(大出方式)を製作イメージオルシコンを使用した
1963年
12月
富士写真フィルム工業 医療用XレイフィルムAXを発売
1964年
島津製作所 ホト・リ・スキャン装置の開発
1964年
梅垣&御厨 開創照射法による膀胱癌治療を発表
1964年
東芝 国産初のX線位置決め装置(シミュレータ)を開発
1964年
直線加速器が輸入され、放医研、癌研で本格的な治療が開始された
1964年
4月
東芝電気 治療計画装置 (シミュレータ)LX-1型を製作し、癌研究会付属病院に設置
1964年
4月
島津製作所 線量分布等線量曲線自動描記装置を製作
1964年
4月
日立レントゲン セシウム137 2000キュリー 天井吊下型治療装置 TS-200CAを製作
1964年
4月
東芝電気 自動車搭載胃集検用リングスタンド アンダーチューブ方式X線テレビDTP-AA1型を発売
1964年
4月
島津製作所 線量分布等線量曲線自動描記装置を製作
1964年
4月
東芝電気株式会社 治療計画装置LX-1型を製作し、癌研究会付属病院に設 置
1964年
4月
日立レントゲン株式会社 セシウム137 2000キュリー 天井吊下型治療装置 TS-200CAを製作
1965年
東芝 3インチ4検出器シンチスキャナRDA-104を金沢大学納入
1965年
東芝 ブレインスキャナRDA-105型を国立国府台病院納入
1965年
阿部光幸 術中照射法による胃癌の治療を発表
1965年
1月
富士機器販売を設立 (現富士メディカル)
1965年
1月
東芝電気 アンダーチューブ方式X線テレビDT-AA型を発売
1965年
1月
Henschke:ヨード125 シードを作り、臨床使用
1965年
4月
島津製作所 ミラーカメラ式胃間接撮影装置 AO-2型を製作
1965年
4月
島津製作所 24MeVベータトロンを完成 大阪成人病センターに納入
1965年
4月
東芝電気 自動車搭載胃集検用リングスタンド アンダーチューブ方式 ミラーカメラ装着 X線テレビDTP-CA/FA型を発売
1965年
4月
島津製作所 24MeVベータトロンを完成 大阪成人病センターに納入
1965年
5月
日立レントゲン 回転照射型テレコバルト治療装置 TC-300RA-1を完成
1965年
5月
日立レントゲン株式会社 回転照射型テレコバルト治療装置 TC-300RA-1を完成
1965年
12月
島津製作所 11インチ イメージアンプリファイア を製作
1966年
東芝 3インチ1検出器シンチスキャナRDA-106型を日本鋼管病院納入
1966年
東芝 レノグラム装置RDP-102型の商品化
1966年
島津製作所 SCC-52型 5インチ対向型シンチスキャナ開発
1966年
新三菱重工業名古屋航空機製作所は島津製作所と協力し、医療用ライナックを完成
1966年
若林勝 リモート アフターローディング腔内照射装置 ラルストロン による子宮癌治療を開始
1966年
島津製作所 リモート アフターローディング腔内照射装置 ラルストロン を製作
1966年
患者固定具と監視装置として各種の用具が開発される
1966年
東芝 回転横断撮影装置を癌研に納入(体内臓器の輪郭取得装置)
1966年
島津製作所 国産初のリモートアフターローダー(遠隔操作機)Ralstron製作
1966年
1月
大阪レントゲン製作所 超音波診断装置 Aモード の研究開発を開始
1966年
1月
日立レントゲン 遠隔操作リングスタンド透視撮影台方式X線テレビを 発表
1966年
1月
日立レントゲン 回転横断断層撮影装置 D-L20 を製作
1966年
1月
新三菱重工業名古屋航空機製作所は島津製作所と協力し、医療用ライナックを完成
1966年
1月
島津製作所 リモート アフターローディング腔内照射装置 ラルストロン を製作
1966年
1月
日立レントゲン 150KV級三極回転陽極X線管 H7038 を完成
1966年
1月
日立レントゲン リングスタンド式遠隔操作方式X線テレビ透視撮影台 TH-500 を完成
1966年
1月
東芝電気 医療用 13MeV リニアアクセラレータ LMR-13型を製作
1966年
4月
島津製作所 遠隔近接兼用型X線テレビ透視撮影台 RS型 を製作
1966年
4月
島津製作所 回診装置用超小型回転陽極X線管 TG型サークレックスを製作
1966年
4月
島津製作所 国際規格に該当する高電圧装置 500mA型 KD100L 及び 心臓血 管連続撮影専用装置 150KVp級 BD150L を製作
1966年
12月
日立レントゲン アンダーテーブル式遠隔操作方式X線テレビカセッテレス透視撮影台 TD-VA を完成
1967年
東芝 2検出器ユニバーサルシンチスキャナの商品化
1967年
島津製作所 Pho/GammaV型 シンチレーションカメラ輸入開始
1967年
Magulis:Interventional Radiology の概念(経血管的に行われる治療手技)を提唱
1967年
3月
日立レントゲン 循環器用用X線装置 DC-1510を発表
1967年
3月
日立レントゲン キャノン ミラーカメラ付胃集団検診X線装置TU-MA-2を発表
1967年
4月
東芝医用機器事業部発足
1967年
4月
島津製作所 イメージアンプリファイア撮像方式胃間接撮影装置 AP-51型を製作
1967年
4月
島津製作所 病室用蓄電器放電式X線装置 MC-100Jを製作
1967年
4月
島津製作所 自動X線管位置定め機構付き立位ブッキー台を製作
1967年
4月
島津製作所 本格的な循環器系X線検査システムを完成 三重県立医大に納 入
1967年
4月
島津製作所 32MeVベータトロンを完成 京都大学及び九州大学に納入
1967年
4月
島津製作所 電子線治療専用開創照射用小型ヘッド20MeVベータトロンを完成
1967年
4月
東芝電気 三相12パルスX線装置 KXO-1000型を製作 循環器診断用X 線装置を製作
1967年
4月
東芝電気 電子線治療も可能な医療用ライナック LMR-13型を製作し、久留米 大学医学部付属病院に設置
1967年
4月
東芝電気 超音波診断装置 コンタクト コンパウンド方式 TSLシリーズ及びAスコープ方式 SSA-01Aを製作開始
1967年
4月
島津製作所 32MeVベータトロンを完成 京都大学及び九州大学に納入
1967年
4月
島津製作所 電子線治療専用開創照射用小型ヘッド20MeVベータトロンを完成
1967年
4月
東芝電気株式会社 医療用医療用ライナック LMR-13型を製作し、久留米 大学医学部付属病院に設置
1967年
8月
富士写真フィルム工業 自動現像器 Xレイ プロセッサ−R を発売
1967年
9月
日本放射線機器工業会創立
1968年
日立メディコ シンチレーションカメラDyna Camera (Picker社製)の輸入販売を始める
1968年
日立メディコ シンチレーションスキャナーMagna Scanner (Picker社製)の輸入販売を始める
1968年
東芝 25cmガンマカメラGCA-101型を国立国府台病院納入
1968年
Frank Ellis:NSDの概念を発表
1968年
畠中坦 脳腫瘍の熱中性子捕獲療法を開始
1968年
日立レントゲン株式会社 治療計画用位置決めシミュレータ装置を製作
1968年
1月
富士写真フィルム工業 自動現像器 Xレイ プロセッサ−RX(90秒)を発売
1968年
1月
大阪レントゲン製作所 超音波診断装置 ドプラー法 の研究開発を開始
1968年
1月
日立レントゲン 治療計画用位置決めシミュレータ装置を製作
1968年
1月
島津製作所 N型インパルスタイマー(1/2サイクル限時) を製作
1968年
1月
EMI社(英)のHounsfield、X線CTを発明
1968年
4月
日立レントゲン 循環器用一次制御シネパルス式X線装置 CINEXT-Hを 発表
1968年
4月
日立レントゲン 循環器用用立体シネ撮影装置 を完成
1968年
4月
島津製作所 三相高電圧発生装置 HD150G-4を製作
1968年
4月
島津製作所 ロールフィルム方式全遠隔操作式透視撮影台 MS-1 を製作
1968年
4月
島津製作所 変視野型(11/7インチ)11インチ イメージアンプリファイア を製作
1969年
東芝 RI動態機能検査装置の商品化
1969年
英国ハマースミス病院でCatterall他がサイクロトロンによる速中性子線治療を開始した
1969年
Brownell:多結晶対向検出器ポジトロンスキャナ を製作
1969年
日本初のディジタル計算機による線量分布計算・表示システムが国立がんセンターで実用運転 東京開催のICRで発表 THERAC-I
1969年
国立がんセンターに日本電気製のTherac-1システム納入(線量計算へのコンピュータ応用開始)
1969年
2月
富士写真フィルム 医療用Xレイ フィルム FX (間接撮影用) を発売
1969年
3月
日本電気株式会社 稲邑 清也:放射線治療計画システム THERAC を製作
1969年
4月
日立レントゲン 循環器用用同時二方向高速シネ撮影装置 を完成
1969年
4月
島津製作所 三相12パルス整流150KVp 1000mA 最適負荷制御機構付き 高電圧 発生装置 HD150G-6を製作
1969年
4月
東芝電気 オーバーチューブ アイランド方式のX線テレビ AE型を製作発売
1969年
5月
日立レントゲン販売と大阪レントゲン製作所が合併し、日立レントゲンが発足 社長 後藤 恒夫
1969年
7月
日本電気 放射線治療計画コンピュータシステム THERAC を完成 国立 がんセンター病院に設置 担当梅垣 洋一郎・稲邑 清也
1969年
7月
日本電気株式会社 放射線治療計画コンピュータシステム THERAC を完成 国立 がんセンター病院に設置 担当稲邑 清也
1969年
9月
東芝電気 ジャイロ式万能X線テレビ ジャイロスコープS44-UG(西山式)を完成し、第12回国際放射線医学会議に展示した
1969年
10月
島津製作所 ズーム型(11-7インチ)11インチ イメージアンプリファイア を製作
1969年
10月
島津製作所 オートショット方式撮影条件自動設定高電圧発生装置 XTD-1500M を使用するX線テレビ装置を発表
1969年
12月
富士写真フィルム電気 医療用Xレイ フィルムの全面PET化を完了
1970年
放医研でファンデグラーフによる中性子線治療
1970年
1月
東芝電気電気 総合健診システム TOSMEC-MHC を東芝中央病院に納入
1970年
3月
富士写真フィルム  医療用Xレイ フィルムRX-L を発売
1970年
4月
東芝電気 リモート アフターローディング治療装置 RAL-101/102型を製作
1970年
4月
島津製作所 全遠隔操作式透視撮影台 US-5A を製作
1970年
4月
日本電子 電子ビーム走査型X線管を用いるX線テレビを製作し、東大に納入
1970年
4月
島津製作所 パルスX線制御装置 シマパルス(1秒200回以上のパルス発生)使用 X線映画撮影装置を製作
1970年
4月
東芝電気  9インチ イメージインテンシファイアを装着した治療計画用シミュレータ LX-8型を製作
1970年
4月
住友重機はトムソン・CSF社製70MeVサイクロトロンを速中性子線治療用として放射線医学総合研究所に納入した
1970年
4月
東芝 リモート アフターローディング治療装置 RCR-120C型を製作
1970年
6月
富士写真フィルム  Xレイ 簡易自動現像器 RE を発売
1971年
日立メディコ 核医学データ処理装置の製品出荷するEDR-4000
1971年
日立メディコ 1検出器シンチレーションスキャナーRSL-1Bシリーズを国産化する
1971年
日立メディコ 全身用2検出器シンチレーションスキャナーRSW-2A-520を国産化する
1971年
東芝 35cmガンマカメラGCA-202型を放射線医学研究所病院納入
1971年
1月
Damadian電気 NMR(核磁気共鳴)による画像診断装置を製作
1971年
1月
東芝電気  アンダーチューブ方式X線テレビ カセッテレス型DT-AM型を発売
1971年
2月
富士写真フィルム工業  富士宮工場を新設 フィルムベース カラノ 一貫生産 を実施
1971年
3月
放射線医学総合研究所に医療用サイクロトロンが設置された
1971年
4月
島津製作所 分割測光方式ホトタイマSPT-Cを製作
1971年
4月
島津製作所 リング型遠隔操作X線テレビ US型を製作 担当 小沢 聶史
1971年
4月
島津製作所 軟部組織撮影用回転陽極X線管U型 及び 拡大撮影用0.1-0.05mm焦点回転陽極X線管を製作
1971年
5月
岩井 喜典 東芝放射線 社長に就任
1971年
10月
日立レントゲン 三相12パルス1200mA級大容量X線装置 DH-1512を完成
1971年
10月
日立レントゲン Aモード超音波診断装置 EUA-1 を完成
1972年
日立メディコ 新方式のシンチレーションカメラRC-IC-1205Dを製品出荷する
1972年
島津製作所 SCINTIPAC-200型 シンチレーションカメラ用データ処理装置を開発
1972年
日本初の商用治療計画システム THERAC-U
1972年
1月
EMI社のHounsfield X線CTを発明
1972年
4月
島津製作所 カセッテレス透視撮影台 USM-1 を完成
1972年
4月
島津製作所 平行式多軌道断層撮影装置 HL-10 を完成
1972年
4月
EMI 世界初のX線CT EMI Scannerを発表、J.Ambrose臨床発表
1972年
6月
日立レントゲン Bモード超音波診断装置 EUB-1 を完成
1972年
6月
富士写真フィルム  医療用Xレイフィルム FL-RX(間接撮影用) を発売
1972年
7月
東芝放射線 は 東芝メディカル に社名変更
1972年
11月
富士写真フィルム  医療用Xレイフィルム RX-Xを発売
1972年
11月
日立メディコの矢仲重信がパルス方式被曝線量低減X線テレビ方式の研究により日本ME学会賞を受賞梅垣の推薦による
1973年
東芝 全身シンチスキャナの商品化
1973年
東芝 核医学データ処理装置の商品化
1973年
島津製作所 シンチレーションカメラに2核種同時収集機能と心拍連動装置を接続
1973年
4MeV国産リニアック(ディジタル シーケンス制御)
1973年
理研の唐沢 孝と日本製鋼が:RI生産用超小型サイクロトロンを製作
1973年
4月
東芝電気 カセッテレス オーバーチューブ方式透視撮影台 SJ型を発売、フィルム100枚収納
1973年
4月
日立レントゲン  社名を日立メディコ に変更
1973年
4月
島津製作所 放射線治療計画コンピュータ装置 ドーズパック1000型を完成
1973年
4月
島津製作所 放射線治療計画コンピュータ装置 ドーズパック1000型を完成
1973年
5月
日立メディコ プログラム制御式多方向透視撮影台 TRG-V8 を完成
1973年
8月
日立メディコ 起倒型油圧式多軌道断層撮影装置 LT-UA を完成
1973年
8月
日立メディコ 12インチ イメージインテンシファイア を完成
1973年
9月
島津製作所 総合健診システム メディスクリーン を開発
1974年
日立メディコ 全身用1検出器シンチレーションカメラOmni View (Picker社製)の輸入販売を始める
1974年
東芝 25cm高分解能ガンマカメラGCA-102S型の商品化
1974年
Artronics社 Neuro-CATをRSNAで展示発表
1974年
米国ロスアラモス研究所でπ中間子治療が開始されたが、期待されたほどの成績は得られなかった
1974年
1月
東芝電気 胃間接X線TV完成
1974年
2月
富士写真フィルム  医療用Xレイフィルム RX-F Spot(間接撮影用) を発売
1974年
4月
島津製作所 マルチサイズ型カセッテレス透視撮影台 USZ-30 を完成
1974年
4月
東芝電気 パノラマ式歯科用X線装置 トスレヤー TR-840型を製作
1974年
11月
シーメンスA.G. 頭部専用CT SIRETOM 発売(リアルタイム再構成機能搭載)
1975年
東芝 35cm高分解能ガンマカメラGCA-401型の商品化
1975年
放射線医学総合研究所でサイクロトロンによる速中性子線治療が開始された
1975年
TerPogossian & Phelps:リング型ポジトロンカメラ (PETT) を製作
1975年
1月
島津製作所 X線CT アクタスキャナーの販売を開始
1975年
2月
日立メディコ アイランド型オーバーテーブル(TU-100)及びアンダーテーブル(TD-100)チューブ カセッテレス透視撮影台付X線テレビ装置を発表
1975年
4月
島津製作所 遠隔操作拡大透視撮影台 UR-10 を完成、名古屋大学佐久間教授との共同研究
1975年
6月
日立製作所 日立メディコ社 国産最初の頭部用X線CTの開発 担当 矢仲 重信
1975年
6月
東芝電気 英国EMI社とX線CTの販売契約を締結
1975年
6月
東芝 英国EMI社とX線CTの販売を締結
1975年
7月
自動車賠償保険の基金によるX線CT大量購入の計画決定
1975年
7月
自動車賠償保険の基金によるX線CT大量購入の計画決定
1975年
8月
EMI Scanner MK-1 東京女子医大で国内初めて設置
1975年
8月
島津製作所 ACTAスキャナー販売開始
1975年
10月
日立メディコ 国産最初の頭部用X線CTを保健衛生大藤田学園に設置
1975年
10月
東芝電気 英国EMI社からX線CT35台輸入の契約締結
1975年
11月
GE 第3世代CT(ファンビーム方式、5秒スキャン)をRSNAで発表
1975年
11月
放医研で重陽子30MeV治療開始
1975年
11月
放射線医学総合研究所はサイクロトロンによる速中性子線治療を開始した
1976年
日立メディコ 1検出器シンチレーションカメラRC-1C-1635LDを製品出荷する
1976年
東芝 ガンマカメラで全身収集可能なオプションGWA-101の商品化
1976年
東芝 ガンマカメラの高解像力シンチグラム撮影装置GMI-04Aの商品化
1976年
島津製作所 多面断層装置PHO/CONの発売
1976年
島津製作所 モービルカメラPho/Gamma LEMの発売
1976年
1月
島津メディカル営業部発足
1976年
1月
富士写真フィルム  コンピューテッドラジオグラフィー の研究を開始
1976年
2月
日立メディコ 頭部用X線CT CT-H250完成
1976年
2月
日立メディコ 乳腺・甲状腺用超音波診断装置 EUB-2 を完成
1976年
2月
日立メディコ 頭部用X線CT CT-250完成
1976年
4月
島津製作所 多方向回転型透視撮影台 ジトロスコープを開発
1976年
4月
日立メディコ 起倒式多軌道断層撮影装置 LT-UG を完成
1976年
5月
世界初の統合放射線治療システム THERAC統合システム(治療計画, 自動制御・照合, 病歴管理を含む)
1976年
5月
日立メディコ 車載型イメージインテンシファイア方式胃集団検診装置 TRD-MA4-2Eを完成
1976年
6月
甲本 幸男 日立メディコ社長となる
1976年
8月
英国EMI社製頭部用X線CT CT-1010が東京女子医大に設置された
1976年
8月
東芝 EMI社製頭部用X線CT CT-1010発売
1976年
9月
東芝電気 CTプロジェクトチームを発足させた部長小島卓哉 研究部西島進 技術 設計部斉藤雄督
1976年
9月
東芝 CTプロジェクトチーム(TCT-60A開発)を発足
1976年
11月
大谷和夫 東芝医用機器事業部長に就任
1976年
11月
シーメンスA.G. 全身用CT SOMATOM 発表(1MHu 、 半導体ディテクタ)
1976年
11月
日立メディコ 循環器用電子セクタ走査型超音波診断装置 EUB-10 を完成
1976年
11月
兼松エレクトロニクス Artronics社製Neuro-CAT/TorsoーCATを国内に設置
1976年
11月
日本電子 全身用CT ダイナミックスキャナJXV-3Aを千葉大に設置
1977年
島津製作所 頭部用X線CTを完成
1977年
東京都立駒込病院で世界初のディジタル制御方式のモノブロック原体照射システム実用運転 (NEC)
1977年
1月
日立メディコ 全身用X線CT装置 CT-W1 を完成
1977年
1月
島津製作所 米国サール・ダイアグノスティック社製PHO/SONIC-SM超音波診断装置を輸入販売
1977年
1月
日立メディコ 全身用X線CT CT-W1を完成
1977年
3月
飯沼・舘野・梅垣・渡辺がビーム制御X線管を使用する超高速X線CTの構想を発表した
1977年
4月
島津製作所 泌尿器科用X線検診台 ウリノグラフ を製作
1977年
4月
福島医科大学に英国EMI社製全身用X線CT CT-5000が設置された
1977年
4月
日本電気 放射線治療装置コンピュータ制御システム THERAC-Cを発表
1977年
4月
東芝電気 超音波診断装置 電子スキャン方式 SAL-10Aを製作 飯沼 一浩
1977年
4月
NEC放射線治療計画装置THERAC-3とコンピュータ制御システム THERAC-Cを組み合わせた単分割原体照射装置を完成し、駒込病院に納入
1977年
4月
福島医科大に英国EMI社製全身用X線CT CT-5000を設置
1977年
4月
日本電気株式会社 放射線治療装置コンピュータ制御システム THERAC-Cを発表
1977年
5月
島津製作所 頭部用X線CTを完成
1977年
6月
植西 繁三 東芝メディカル 社長に就任
1977年
9月
日立メディコ 第三世代高速型全身用X線CT装置 CT-W2 を完 成
1977年
9月
横河電機 GE社製X線CT CT8800を発表
1977年
9月
日立メディコ 第3世代高速型全身用X線CT CT-W2を完成
1977年
11月
日立メディコ バッテリー式コードレス病室用X線装置DHC-121を完成
1978年
日立メディコ 循環器用1検出器シンチレーションカメラRC-1C-1635LHを製品出荷する
1978年
日立メディコ 核医学データ処理装置EDR-4200の改良製品を出荷する
1978年
東芝 25cm低エネルギーガンマカメラGCA-10Aの商品化
1978年
東芝 普及型頭部用X線CT TCT-30を販売
1978年
横河電機製作所 GE社製X線CT装置CT/T及び治療計画装置を販売
1978年
Phelps & Ortec社:ポジトロンカメラ ECAT を完成発売
1978年
1月
東芝電気 CT画像撮影装置CTI-01Aを発売
1978年
1月
島津製作所 頭部用X線CT SCT-100N を発売
1978年
1月
横河電機製作所 GE社製X線CT装置CT/T及び治療計画装置を販売
1978年
1月
島津製作所 米国 Pfizer Medical Systems社製全身用CT ACTA 0200FS を輸入販売
1978年
1月
日本シーメンス 全身用CT Somatom 及び頭部用CT Siretom を販売
1978年
1月
日本フィリップス 全身用X線CT Tomoscan 300(ファンビーム)を販売
1978年
1月
日本電子 全身用X線CT ダイナミックスキャナ JXV-3Bを完成発売
1978年
1月
日本電気 米国 Varian社製全身用CTスキャナ V-360-S(スリップリング方式)を販売
1978年
1月
小西六写真工業 さくらイメージングカメラ−CTを発売
1978年
1月
日立メディコ 全身用CT CT-W を完成
1978年
1月
千代田ニチエー ルチイメージャーカメラ モデル140, 160を発売
1978年
1月
旭メディカル 米国AS&E社製全身用CT(第4世代)を販売
1978年
1月
アロカ 米国 Ohio-Nuclear社製全身用X線CT デルタスキャン 2000シリーズを販売
1978年
1月
兼松エレクトロニクス アートロニクス社製 Neuro-CAT(頭部用) Torso-CAT(全身用)CTスキャナを販売
1978年
1月
横河電機 GE製X線CT CT/T及び治療計画装置を販売
1978年
1月
島津製作所 Pfizer Medical Systems社製全身用CT ACTA0200FSを販売
1978年
1月
日本シーメンス 全身用CT Somatom及び頭部用CT Siretomを販売
1978年
1月
日本フィリップス 全身用CT Tomoscan300を販売
1978年
1月
日本電子 全身用CT ダイナミックスキャナJXV-3Bを完成販売
1978年
1月
日本電気 Varian社製全身用CTV-360-Sを完成販売
1978年
1月
日立メディコ 全身用CT-Wを完成
1978年
1月
旭メディカル AS&E社製全身用CT(第4世代)を販売
1978年
1月
アロカ Ohio-Nuclear社製全身用CTデルタスキャン2000シリーズを販売
1978年
1月
兼松エレクトロニクス Artronics社製Neuro-CAT/Torso=CATを販売
1978年
2月
島津製作所 頭部用X線CT SCT-100Nを発売
1978年
2月
CTに保険点数が適用される
1978年
3月
Mayo ClinicがDSR方式(28組のX線管とTVを使用)の超高速CTを完成したが、コストが高く実用化しなかった
1978年
4月
東芝電気 頭部用X線CT TCT-10A を製作
1978年
4月
島津製作所 多方向シネ撮影用 Uアームスタンド RAH-10 を完成
1978年
4月
島津製作所 セクタ電子走査超音波診断装置 SDU-100 を製作
1978年
4月
東芝 頭部用X線CT TCT-10Aを製作
1978年
4月
日立メディコ 第2世代頭部用X線CT CT-H2を完成
1978年
5月
日立メディコ 普及型頭部用X線CT CT-HSを完成
1978年
10月
東芝電気 全身用X線CT TCT-60A を製作 斉藤 雄督
1978年
10月
東芝 全身用X線CT TCT-60Aを製作
1978年
10月
日立メディコ 3:1インタレース高解像度X線テレビ装置 XTV-0-1D を 完成
1978年
11月
シーメンスA.G. 全身用CT SOMATOM2 発表(ECG同期撮影,位置決めスキャン機能搭載)
1979年
日立メディコ 頭部用ポジトロンカメラ PCT-H1を開発
1979年
東芝 全身用X線CT TCT-60A/20シリーズを販売
1979年
CT発明のA.M.CormackとG.N.Hounsfieldノーベル賞受賞
1979年
1月
長瀬産業 コダック社製 CRTイメージング フィルム シリーズを販売
1979年
1月
Douglas P. Boyd IMATRON社を設立し超高速X線CT Cardiovascular CT (Imatron) を完成
1979年
1月
IMATRON社 電子スキャン超高速CT(Imatron)を完成
1979年
3月
日立メディコ 高精細型頭部用X線CT CT-HFを完成
1979年
4月
西村重夫 東芝那須工場初代工場長に就任
1979年
4月
東芝電気 コードレス移動用X線装置KCD-12MCを発売
1979年
4月
東芝那須工場を新設し、玉川工場から医用機器部門を移転
1979年
4月
島津製作所 34.5cm(14インチ)イメージアンプリファイア IA-14/9型を完成
1979年
6月
島津製作所 頭部用X線CT SCT-10Nを発売
1979年
10月
放射線医学総合研究所は90MeV陽子線による治療を開始した
1979年
10月
放医研でサイクロトロンを用いた70MeV陽子線による治療開始
1979年
12月
富士写真フィルム メディカル イメージングシステム を発表
1980年
東芝 ユニフォミティ補正機能内蔵35cmガンマカメラGCA-401-5型汎用ガンマカメラの商品化
1980年
東芝 SPECT可能ユニバーサルガンマカメラGCA-70Aの商品化
1980年
東芝 移動型モービルガンマカメラの商品化
1980年
島津製作所 検出器回転式SPECT装置Pho/Gamma LEOV-E型を島津製作所で製造
1980年
東芝 全身用X線CT TCT-60A/30シリーズを販売
1980年
横河電機株式会社 米国GE社製シングル フォトンRCTシステム Maxi Camera 400T を販売
1980年
東京都立駒込病院でディジタル コンピュータ式・打抜き照射システム
1980年
リアルタイム視覚的最適化治療計画システム
1980年
東京都立駒込病院で世界初のディジタル制御方式のマルチリーフ原体照射システム実用運転 (NEC)
1980年
3月
東芝電気 X線CT(TCT-35A)をメキシコへ初輸出
1980年
3月
東芝 X線CT(TCT-35A)をメキシコへ初輸出
1980年
4月
田尻實保 東芝那須工場第2代工場長に就任
1980年
4月
東芝電気 乳房撮影用X線装置MGU-01型を完成
1980年
4月
島津製作所 頭腹部拡大ステレオ診断システム パンジオマックス 多目的血管造影診断装置を完成
1980年
4月
東芝電気 那須工場内に医用機器技術研究所を設立
1980年
7月
東芝メディカル エンジニアリング 設立 初代社長に橋本健二郎 就任
1980年
8月
富士写真フィルム  フジ メディカル イメージングカメラ シングルフォーマット FSC-1010 を発売
1980年
9月
富士写真フィルム CRTイメージング フィルムを発売
1980年
9月
日立メディコ 全身用CT CT-W3 を発売
1980年
9月
西本産業 カラーグラフィックシステム 2000 & 4000を発売
1980年
9月
旭メディカル 米国ファイザー社製 CTRT 放射線治療計画装置を販売
1980年
9月
シーメンスメディカルシーメンス社製全身X線CT Somatom(像計算時間0)を販売
1980年
9月
日立メディコ 全身用X線CT CT-W3を発売
1980年
9月
シーメンスメディカル 全身用X線CT Somatom(像計算時間0)を販売
1980年
9月
旭メディカル株式会社 米国ファイザー社製 CTRT 放射線治療計画装置を販売
1981年
日立メディコ 多目的用1検出器シンチレーションカメラRC-1C-1635LFを製品出荷する
1981年
日立メディコ 核医学データ処理装置HARPTにKIS機能を搭載する
1981年
東芝 高速処理、高分解能表示の医用画像処理装置GMS-55A,Uを商品化
1981年
島津製作所 SET-230型ハイブリッドリング式カメラの開発
1981年
島津製作所 SET-120型(HEADTOME)ポジトロン専用カメラを発売
1981年
島津製作所 SET-010型 頭部専用SPECT装置を発売
1981年
島津製作所 ZLC-75/E型 SPECT装置を発売
1981年
島津製作所 SCINTIPAC-2400 型データ処理装置完成
1981年
東芝 全身用X線CT TCT-80Aを販売、日経新聞10大商品選定
1981年
東芝 頭部用X線CT TCT-20Aを販売
1981年
1月
島津製作所 マイクロコンピュータ制御プログラム式X線高電圧発生装置 三相1250mA SHD150GP を完成
1981年
3月
日立メディコ テトロード制御式三相1300mA級大容量X線装置DH-1513Tを完成
1981年
4月
島津製作所 移動式外科用X線テレビジョン装置 WHA-10 を製作
1981年
4月
島津製作所 全身用X線CT SCT-1000T を完成
1981年
4月
島津製作所 リニア電子走査超音波診断装置 シマソニック を製作
1981年
4月
東芝電気 癌研病院、癌研物理部及び名古屋大学医学部と共同研究し、治療計画装置TRP-60Aを完成
1981年
4月
日本電気 放射線治療計画及び制御装置 THERACによる多分割原体照射装置を完成し、東京都立駒込病院に納入
1981年
4月
島津製作所 全身用X線CT SCT-1000Tを発売
1981年
4月
東芝電気株式会社 癌研究会付属病院、癌研究所物理部及び名古屋大学医学部と共同研究し、治療計画装置TRP-60Aを完成
1981年
4月
日本電気株式会社 放射線治療計画及び制御装置 THERACによる多分割原体照射装置を完成し、東京都立駒込病院に納入
1981年
5月
日立メディコ 普及型頭部用X線CT CT-HSFを完成
1981年
6月
富士写真フィルム ICR81 でコンピューテッドラジオグラフィー FCRを発表
1981年
6月
島津製作所 頭頚部用X線CT SCT-200Nを発売
1981年
7月
日立メディコ(株)スエーデン スカンジトロニクス社製治療用マイクロトロンを国立がんセンターに納入した
1981年
8月
東芝電気 日本光電工業と業務提携
1981年
8月
日立メディコ マルチ採光自動露出制御装置 ZP-AEC を完成
1981年
9月
横河電機製作所 米国GE社製 Digital Radiography装置 RadView 及び Fluoricon を販売
1981年
11月
シーメンスA.G. 全身用CT SOMATOM DR3 発表(512×512再構成:50cmFOV:リアルタイム再構成機能:1mmスライス厚)
1982年
日立メディコ 全身用ポジトロンCT装置の開発を始める
1982年
東芝 デジタルガンマカメラの幕開け:医用画像処理装置をコンソールにする
1982年
東芝 角型有効視野50×35cmSPECT装置GCA-90Aの商品化
1982年
東芝 角型2検出器SPECT装置の商品化
1982年
音声認識画像診断システムの実用化
1982年
Dr. Smith (コニカ)日本のPACSのさきがけ
1982年
PACSの語源 Newport Beach SPIEで Dwyerが使い始める
1982年
1月
米国放射線学会ACRと北米電子機器工業会NEMAは医用画像と通信のための規格ACR-NEMAの検討を始めた
1982年
1月
ドルニエ社(ドイツ)体外衝撃波結石破砕装置 Kidney Lithotripter HM-3を製作発売
1982年
3月
日立メディコ テトロード制御三相2000mA級高電圧発生装置 DH-1520TMを完成
1982年
4月
島津製作所 ディジタルサブトラクションシステム DAR-100を開発
1982年
4月
日立メディコ カセッテレス オーバーチューブ透視撮影台 TU-210を完成
1982年
4月
東芝電気 ディジタルフルオログラフィー用高電圧発生装置KXO-1050Fを完成
1982年
4月
東芝電気 PET-SCOPE搭載型X線透視撮影台を発売
1982年
6月
杉 健次郎 東芝医用機器事業部長に就任
1982年
7月
小西六メディカル サクラ イメージング カメラ M.M(マイティ マルチ)を発売
1982年
7月
日本アビオニクス ディジタル サブトラクション用 アンギオイメージャー (画像処理装置)を販売
1982年
7月
日本電気 放射線治療計画装置 THERAC-2300(即時最適化機能付)を発表
1982年
7月
横河電機 米国GE社製循環器X線撮影装置 L/U システムを販売
1982年
7月
日立メディコ 9インチ イメージインテンシファイア IK-90H 及び 11インチ イメージインテンシファイア IT-12Hを完成
1982年
7月
旭メディカル オーストラリア Ausonics社製超音波診断装置(ウォータカップリング コンパウンドスキャン) U.I.OCTOSON を販売
1982年
7月
オールデルフト オランダDelft社製 アナログ回転横断断層装置付放射線治療位置決め装置 SIMULIX & SIMTOMIX を販売
1982年
7月
持田製薬 米国 Fonar社製デュアルモード(Anatomic mode & Chemical mode)全身用NMRスキャナを販売
1982年
7月
オールデルフト株式会社 オランダDelft社製 アナログ回転横断断層装置付放射線治療位置決め装置 SIMULIX & SIMTOMIX を販売
1982年
7月
日本電気株式会社 放射線治療計画装置 THERAC-2300(即時最適化機能付)を発表
1982年
9月
日立メディコ 高精細型X線テレビ XTV-V1000 を完成
1982年
10月
横河メディカルシステム 国産全身用X線CT CT8600を発売
1982年
10月
横河メディカルシステム GE製全身用X線CT CT9800を発売
1982年
11月
日立メディコ デイジタル血管撮影装置 DFA-1 を完成
1983年
日立メディコ デジタル型1検出器シンチレーションカメラ RC-150DTを製品出荷する
1983年
島津製作所 ZLC型 ロータカメラの発売
1983年
東芝 全身用X線CT TCT-60A/35シリーズ、50シリーズを発売
1983年
東芝 全身用X線CT TCT-70Aを発売
1983年
第1回PACSシンポジウム開催(東京)
1983年
アロカ株式会社 超音波診断装置を内蔵した心機能核医学検査装置 Omniscope を発売
1983年
アロカ株式会社 レクタンギュラー フィールド ECT対応回転型シンチレーションカメラ Omega500を発売
1983年
横河メディカルシステム株式会社 米国GE社製MaxiCamera Autotune ZS シンチレーション カメラ(カメラの諸特性を自動的に補正)を販売
1983年
1月
日立メディコ 全身用X線CT CT-W3-40 を完成 
1983年
1月
シーメンス メディカル システムズ ディジタル サブトラクション アンギオグラフィー装置 Digitron 及び Angiotron を発売
1983年
1月
日立メディコ 全身用X線CT CT-W3-40を完成
1983年
2月
島津製作所常伝導型NMR装置を製作
1983年
2月
東芝常伝導型NMR-CT装置 MRT-15Aを発表
1983年
2月
ダイアソニック ジャパン社 Diasonic Superconducting NMR Imaging Systemを販売
1983年
2月
東レ ピッカーインターナショナル社製常伝導及び超電導NMR-CT装置を販売
1983年
2月
日本電気 放射線治療計画システムTHERACシリーズ THERAC-1000, THERAC-2000を発売
1983年
2月
日本電気株式会社 放射線治療計画システムTHERACシリーズ THERAC-1000, THERAC-2000を発売
1983年
3月
日立メディコ 循環器用傾斜可能型撮影台 T-AL を完成
1983年
3月
日立メディコ 断層撮影機能付きカセッテレス透視撮影台 TU-210L を完 成
1983年
3月
島津製作所 治療計画用CT CTSを開発
1983年
4月
東芝電気 MRI診断装置 MRT-15A(0.15テスラ)を製作 慈恵医 大に納入
1983年
4月
東芝電気 ディジタルフルオログラフィーシステムDIGIFORMER-Xを発表
1983年
4月
筑波大学粒子線医科学センターが発足し、陽子線治療が開始されたセンター長に北川俊夫が就任した
1983年
5月
日立メディコ 米国フィリップス社向けOEM製品 全身用X線CT T-60 の 量産開始
1983年
5月
日立メディコ 高解像度メタル入力面イメージインテンシファイア IK-12HM, IK-90HM を完成
1983年
6月
日本PACS研究会発足 会長尾上 守夫 事務局長牧野 純夫
1983年
6月
吉田 昭年 東芝メディカル社長に就任
1983年
7月
旭メディカル NMR-CT MARK-Jを発売
1983年
7月
旭メディカル Ausonics社製超音波診断装置 System 1 (オクトソン方式)を販売
1983年
7月
島津製作所 ディジタル サブトラクション アンギオグラフィー装置 DAR-100を発売
1983年
7月
日本フィリップス 常伝導 及び 超電導NMR-CT装置 GYROSCAN を販売
1983年
7月
日本フィリップス ディジタル サブトラクション アンギオグラフィー装置 DVI-2 を販売
1983年
7月
日本フィリップス セクタ式電子走査形超音波診断装置 SDC 4000 を販売
1983年
7月
日立メディコ 常伝導全身用NMRイメージング システムを製作
1983年
7月
日立メディコ リニア電子走査形超音波診断装置 EUB-26を発売
1983年
7月
横河メディカルシステム 全身用CT装置 CT8000を国産化
1983年
7月
横河メディカルシステム 米国GE社製高速全身用CT装置 CT9800を販売
1983年
7月
富士写真フィルム  コンピューテッドラジオグラフィー FCRを発売
1983年
7月
アロカ Technicare社製ディジタル サブトラクション アンギオグラフィー装置 DR-960シリーズを販売
1983年
7月
横河メディカルシステム 高解像度リニア・セクタ電子走査形超音波診断装置 U-SONICシステムを発売
1983年
7月
伊藤忠商事 ADAC社製ディジタル サブトラクション ラジオグラフィー システム(画像処理装置)を販売
1983年
8月
富士写真フィルム フジ メディカル イメージングカメラ マルチフォーマット FIM-3035-AH を発売
1983年
8月
富士写真フィルム メディカル マイクロレコーディングシステム FUJI-MR を発売
1983年
9月
TM興産(後にメディカル・サプライ・ジャパン)設立東芝メディカルの系列病院関係の事務サービスを行っている
1983年
11月
日立メディコ バッテリー式回診用X線装置 DHC-122シリーズを完成
1983年
11月
シーメンスA.G. 全身用CT SOMATOM DRH 発表(±25°チルト:MPR機能)
1983年
11月
日本医用画像工学研究会は日本放射線機器工業会と協力して第一次RSNAの事業活動調査団を派遣した
1983年
12月
日立メディコ 高精細型ディジタル血管撮影装置 DFA-2 を完成
1983年
12月
島津製作所 全身用X線CT SCT-2000Tシリーズを発売
1984年
日立メディコ 頭部用ポジトロンカメラ PCT-H1を製品出荷する
1984年
東芝 全身用X線CT TCT-60A/60シリーズを発売
1984年
東芝 全身用X線CT TCT-70A/20シリーズを発売
1984年
阪大 大型PACS実験開始(NEC)
1984年
JPACS(日本PACS研究会)発足
1984年
MIPS(JIRA), ACR-NEMAの日本版の標準化活動開始
1984年
PHD(Personal Health Data)プロジェクト開始
1984年
IS&C(Image and Carry)標準化作業開始
1984年
3次元不均質補正をリコンストラクタで世界最初に実現した商用治療計画システム(NEC), Modified Equivalent TAR法を採用
1984年
1月
島津製作所 メタル ハイコントラスト イメージアンプリファイア メタルハイコンチューブ を開発
1984年
1月
島津製作所 米国テクニケア社とディジタルサブトラクション装置の開発について提携契約
1984年
1月
島津製作所 核磁気共鳴CT装置 SMT-20を完成
1984年
3月
日本医用画像工学研究会第一次RSNAの事業活動調査団報告書を作成した
1984年
4月
西川正孝 東芝那須工場第三代工場長に就任
1984年
4月
島津製作所 胃集検車搭載用オーバーチューブ方式X線テレビ AO-30型を製作
1984年
4月
島津製作所 高速(4.5秒)全身用X線CT SCT-2000T を完成
1984年
4月
東芝メディカル エンジニアリングKK 英文メディカルレビューの編集製作を開始
1984年
4月
東芝電気 超電導MRI診断システム MRT-200を製作 東芝中央 病院で臨床試験
1984年
4月
富士写真フィルム フジ メディカル イメージングカメラ マルチフォーマット FIM-3543H FIM3535AH を発売
1984年
4月
島津製作所 全身用X線CT SCT-2200Tを発売
1984年
5月
日立メディコ 全身用X線CT CT-W500/600を完成
1984年
7月
横河メディカルシステム 全身用X線CT ImageMax を発売
1984年
8月
NEC 長崎でテレラジオロジ-の実験
1984年
8月
第一回PACS & PHD International Symposium を開催
1984年
11月
日本医用画像工学研究会は日本放射線機器工業会と協力して第二次日米医学技術調査団を派遣した
1984年
12月
小型・中型PACSの開発と普及(MediFile-1000など)
1984年
12月
CCD式フィルムディジタイザ、画像ディジタイザ(NEC)
1985年
東芝 2検出器ホールボディ装置の商品化
1985年
東芝 全身用X線CT TCT-900Sを発売、通算大臣賞受賞
1985年
DICOM 1.0 発行
1985年
1月
ACR-NEMAのバージョン1が発表された
1985年
1月
島津製作所 超電導型核磁気共鳴CT装置 SMT-50 3500ガウス及び5000ガウスを 完成
1985年
3月
日本医用画像工学研究会第二次日米医学技術調査団報告書を作成した
1985年
3月
日立メディコ マイコン制御プログラム撮影機能付き三相X線高電圧装 置 DH-158HM-−DH-1513HMを完成
1985年
3月
日立メディコ 汎用リニア電子走査型超音波診断装置 EUB-240 を完成
1985年
4月
東芝・町田製作所 カラー電子内視鏡 EESシリーズを開発
1985年
4月
東芝電気 富士写真フィルムと提携し、コンピューテッドラジオグラフィー機器CR-201 DT-CR-10他を製作
1985年
4月
日本放射線機器工業会は通産省工業技術院委託研究「医用画像処理イステムの標準化に関する研究」を3年間の予定で実施した
1985年
4月
日立メディコ 京都大学病院に医用画像管理システム HIPACS を納入、京大はKIDSシステム と命名して運営
1985年
4月
京大病院KIDS開始(日立メディコ)
1985年
5月
JIRA産学協力部会長牧野純夫氏の呼びかけにより、MIP(Medical Imaging Promotion)委員会が発足、これが後にJMCPに発展した
1985年
5月
日立メディコ 自動現像機直結 断層機能付きカセッテレス透視撮影台 TRU-230VL を完成
1985年
8月
横河メディカルシステム GE製全身用X線CT CT9000を発売
1985年
9月
第二回PACS & PHD International Symposium を開催
1985年
10月
日立メディコ(株)柏工場に加速器棟完成
1986年
日立メディコ 頭部用4検出器SPECT製品SPECT-2000H製品を出荷する
1986年
東芝 マルチJOB可能な医用画像処理装置GMS-550Uの商品化
1986年
東芝 ガンマカメラのモデルチェンジのGCA-901A型
1986年
島津製作所 SNC-500R 型シンチレーションカメラの製造開始
1986年
東芝 全身用X線CT TCT-60A/EX、SXを発売
1986年
東芝 全身用X線CT TCT-300を発売
1986年
兼松エレクトロニクス株式会社 放射線治療計画装置 CMS社製モジュレックスRTP を販売
1986年
世界初の医用画像圧縮専用ハードウェア(NEC)
1986年
アロカ株式会社 レクタンギュラー フィールド ガンマカメラ OMEGA 500を発売
1986年
1月
キャノン X線イメージインテンシファイア 35mm高速シネカメラ CXI-35 を発売
1986年
1月
長瀬産業 コダック社製ナガセX線シネフィルム及びナガセX線シネシステムを販売
1986年
1月
富士メディカルシステム 高鮮鋭度X-レイフィルム HRシリーズを発売
1986年
1月
日本電気 ローカル医用画像ファイリングシステム MediFile-1000 を発表
1986年
1月
シーメンス メディカルシステムズ 2方向心血管撮影システム BICOR を販売
1986年
1月
CGR Japan社 多方向心血管撮影システム アンギオマックス を販売
1986年
1月
日本フィリップス 全身用CT装置 TOMOSCAN-350 を販売
1986年
1月
兼松エレクトロニクス 放射線治療計画装置 CMS社製モジュレックスRTP を販売
1986年
1月
東レ富士ピッカーインターナショナル 米国 Picker社製 超電導NMRイメージング装置 VISTA-MRを販売
1986年
1月
ナック シネアンギオ専用カメラ アリテクノ35 を販売
1986年
1月
島津製作所 全身用X線CT SCT-2500Tを発売
1986年
1月
日本フィリップス 全身用CT Tomoscan350を販売
1986年
3月
東芝電気 総合画像診断システム TDISを発表し、東大他に納入
1986年
3月
富士電機 富永記念病院に医用画像管理システム EFPACS を納入
1986年
3月
日立メディコ 普及型全身用X線CT CT-W400を完成
1986年
9月
横河メディカルシステム 全身用X線CT CT9200を発売
1986年
11月
日立メディコ 電子走査型超音波診断装置 EUB-450 を完成
1986年
11月
シーメンスA.G. 全身用CT SOMATOM CR 発表(SSD:レーザーカメラへのデジタル転送機能)
1986年
12月
日立メディコ リニア電子・メカニカルセクタ走査型超音波診断装置 EUB-305 を完成
1986年
12月
日立メディコ 全身用X線CT CT-W700/800を完成
1987年
日立メディコ デジタル型1検出器SPECT製品RC-150Eを出荷する
1987年
日立メディコ 核医学データ処理装置HARP Uの改良製品を出荷する
1987年
日立メディコ 全身用PET製品 PCT-3600Wを出荷する
1987年
フジテック社 等線量自動記録装置 ISO-DOSE-RECORDER FM-0050CPC を販売
1987年
東芝 晴海での衛星を使用してテレラジオロジーの実験
1987年
オリオノ検診システムでのテレラジオロジー(NEC)
1987年
世界最初のCTシュミレータ北大と京大で稼働 (NEC、島津)
1987年
1月
風雲堂 万能カセットホルダー を販売
1987年
1月
コダック・ナガセ メディカル 血管撮影用X線フィルム TマットH を発売
1987年
1月
トムソン ジャパン 乳房X線撮影装置 セノグラフ500T を販売
1987年
1月
三菱電機 超電導NMRイメージングシステム 0.6Tを発売
1987年
1月
横河メディカルシステムズ 高速X線CT CT9200 を販売
1987年
1月
ミカサ 乳房X線撮影装置 アトムスコープ50M を販売
1987年
1月
共立医療電機KK 東芝メディカルKK ハイパーサーミア治療装置 TAG-MED System-434 を輸入販売
1987年
1月
アコマX線工業 乳房精密検診用X線装置 フェニックス を販売
1987年
1月
小西六メディカル マルチ5チャンネル明室フィルム処理システム サクラSDレシーブサプライヤ RS-5 を発売
1987年
1月
西本産業 AIM-2方式(自動ラスター消去)マルチイメージャー MI-7st を販売
1987年
1月
ユフ精器 血管撮影用造影剤注入装置 アンギオマット3000インジェクター を販売
1987年
1月
マツキ製作所 連続撮影用カットフィルムチェンジャー New-Tac を販売
1987年
1月
フジテック社 等線量自動記録装置 ISO-DOSE-RECORDER FM-0050CPC を販売
1987年
1月
三洋電機特機 永久磁石型MRIイメージング装置 サンヨーSNR-15P(0.15T)を販売
1987年
3月
日立メディコ インバータ式高電圧発生装置 DHF-1510シリーズ を開発
1987年
3月
東芝電気 インバータ方式高電圧発生装置SXT-60Fを完成
1987年
3月
島津製作所 治療計画用CT CTS-10protoを開発
1987年
3月
日立メディコ(株)マイクロトロン国産1号機を九州がんセンターに納入した
1987年
4月
菊地 幸一 東芝メディカル社長に就任
1987年
4月
楠木康夫 東芝那須工場第四代工場長に就任
1987年
4月
東芝電気 C.M.S.社と提携 MODULEX-Tを発売
1987年
4月
東レ富士ピッカー 米国Picker社製X線CT サイナビュー1200EXPERT (2000KHU5HX線管 16スライス/52秒)を販売
1987年
4月
東芝 C.M.S.社と提携 MODULEX-Tを発売
1987年
4月
日本医学学術集会振興協会JMCP発足式典於て上野精養軒
1987年
7月
日立メディコ 永久磁石式MRイメージング装置 MRP-20シリーズ を完 成
1987年
7月
日立メディコ 治療用マイクロトロン HTMシリーズを完成
1987年
7月
日立レントゲン株式会社 治療用マイクロトロン HTMシリーズを完成
1987年
8月
三菱電機 医用画像ワークステーション File Ace 4100 (2048x2048マツリックス CRT使用)を販売
1987年
8月
日立電子 ローカル画像ファイリングシステム FS-81/FS-161 (アナログ記録光ビデオディスク使用) を販売
1987年
8月
日本フィリップス 医用画像管理システム MARCOM (光ディスク併用) を発表
1987年
10月
日立メディコ 画像ワークステーション IWSシリーズ を開発
1987年
11月
シーメンスA.G. 第三世代スリップリング方式1秒フルスキャン SOMATOM Plus 発表
1988年
中外製薬株式会社 ガンマカメラ方式骨密度測定装置 DUALOMEX HC-1 を発表販売
1988年
横河メディカルシステムズ株式会社 GE社製可動式核医学診断装置 スターカム300A/M (バッテリー駆動データ処理装置内蔵)を発売
1988年
1月
ACR-NEMAのバージョン2が発表された
1988年
1月
コントロン インストルメンツ 3-Dワークステーション(三次元画像処理装置) MIP MR を販売
1988年
1月
アコマ 移動回診用X線装置 アコマSCD-125(モータードライブ コンデンサー式) を販売
1988年
1月
横河メディカルシステムズ GE社製NMRイメージンング装置 SIGNAを発売
1988年
1月
東レ富士ピッカーインターナショナル Picker社製X線CT SYNERVIEW 1200SX を販売
1988年
1月
根本杏林堂 造影剤注入装置 オートエンハンスA-30 を販売
1988年
1月
シーメンス メディカルシステムズ 超電導MRイメージングシステム MAGNETOM を販売
1988年
1月
テルモ 血管造影システム ラジフォーカス (ガイドワイヤーM使用) を販売
1988年
1月
田中レントゲン製作所 カセッテレス マイコン制御超コンパクト X線テレビ装置TX-3 を販売
1988年
1月
西本産業 立石電機製オムロン RFハイパーサーミア システムHEH-500C(13.56MHz) を販売
1988年
1月
日本電気 医用画像管理システム NEPACS (磁気テープ1巻にX線画像16万枚を記録)を発売
1988年
1月
日商メディ・サイエンス ・島津メディカル 米国 Norland社製 二光子骨塩定量測定装置DBD2600を販売
1988年
1月
島津製作所 ディジタルサブトラクションシステム DAR-1200(1024マトリツクス)を発売
1988年
2月
中標津テレラジオロジー(NEC)
1988年
3月
日立メディコ 血管撮影用デイジタルデータレコーダ DDR を完成
1988年
3月
シーメンス メディカル システムズ ディジタル サブトラクション画像処理装置 DIGITRON 3 を販売
1988年
3月
三井物産 米国ルナー社製 デュアルX線骨密度測定装置 ルナーDPX を販売
1988年
3月
日本放射線機器工業会 ディジタル画像と通信規格 MIPS規格案−87 を作製
1988年
3月
日立メディコ 高速X線CT CT-W1000 (2000KHU大容量X線管 1.2秒スキャン)を発売
1988年
3月
島津製作所 循環器X線検査用Cアームスタンド MH-50A (多方向シネ撮影 フィルムチェンジャー撮影) を発売
1988年
3月
池上通信 CT画像伝送システム ITF-118TN/RN-CT (一般電話線によるCT画像伝送 45秒)を販売
1988年
3月
日製産業 デンマーク S.D.MEDICOSALES社製デュアルフォトン骨密度測定装置 BMC-Lab 23 (Gd153線源使用) を販売
1988年
3月
第一回JMCP学術大会 日医放学会総会 日放技術学会 於て晴海特設会場 RSNAにならった方式で3.29-4.5の間開催された
1988年
4月
東芝 画像ファイリング読影システム(TDIS-FILE 300、500)
1988年
4月
東芝電気 超電導MRI診断装置MRT-200/FXを発売
1988年
4月
東芝電気 医用画像ファイリングシステム TOS-File-500型を発売
1988年
4月
富士写真フイルム 小型低価格化 FCR画像診断システム FCR7000 を発売
1988年
6月
東芝メディカル エンジニアリング 第三代社長に斉藤雄督 就任
1988年
8月
山之内メディカル 山本ビニター社製ハイパーサーミア装置 サーモトロン−RF8 を販売
1988年
9月
日立メディコ 血液像自動分類装置 8200型を販売
1988年
9月
東芝メディカル 原体照射システム LMR-4C LMR-18A (コンピュータ制御11組多分割絞りオーバラップ可能)を発売
1988年
9月
フィリップス メディカルシステムズ インターベンショナル テクニック対応ディジタル アンギオ シネシステム DCI & Poly DIAGNOST-C/Lateral ARC を販売
1988年
9月
東芝メディカル株式会社 原体照射システム LMR-4C LMR-18A (コンピュータ制御11組多分割絞りオーバラップ可能)を発売
1988年
10月
東芝電気 米国シーメンス メディカル ラボラトリ社と提携し、医用ライナック メバトロン シリーズ を発売
1988年
10月
東芝 米国シーメンス メディカル ラボラトリ社と提携し、医用ライナック メバトロン シリーズ を発売
1988年
11月
協和メディックス ハイパーサーミア装置 BSD-1000(50-1000MHz) を販売
1988年
11月
呉羽化学工業 RFハイパーサーミア装置 エンドレディオサーム100A を販売
1988年
11月
三菱電機 ハイパーサーミアシステム CTC-MARK9 (915MHz) を販売

 

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